これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

「〜すべき」って表現

私はあんまり好きじゃない。言い方にもよるけど、何だか硬いし否定的で攻撃的だし、気分良くない。言われた方は、身構えてしまうんじゃないかな。人に何かを教えるときに「〜すべき」って言うのも、手抜きっぽいというか、一番楽な言い方だなと思う。そして、何よりも嫌な感じがするのは、色々な可能性を潰しちゃってるんじゃないかという点。

「〜すべきである」

この表現からは、あるべきゴールが既にあって、そこへ向かわんかい!と言われてるように感じる。ほんとは一手段を述べてるにすぎないのに(たぶん)。目指したいゴールがあって、それに辿りつく方法は無数にあるはず。もっといい方法もあるはず。

「〜してみよう」

こう表現すると、もっと色々な可能性が模索されやすそうな予感。「こんなのもあり?」といった感じで意見が言いやすそう。同じ手段について述べていても、他方が可能性を狭めているのに対し、他方は可能性を模索させる。言い方一つで、人に与える影響は全く異なるものになってしまうのだなぁ、と電車に揺られながらボンヤリ考えてましたとさ。

と、ここまで書いてしまって何ですが、「〜すべき」って表現をつかっても、不思議と上記のような印象を受けない人もいる。何でだろうと考えてみると、その人がその人の言ってる内容自体に、「楽しい」とか「面白い」とかいったような遊び心的なものを感じているんじゃないかな、と。他者を否定しない発言になっていることがポイントなのだろうか。