これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

カイゼンと本質的な原因

何かをカイゼンしようと思うキッカケって

  • 何となく何かがオカシイと感じるケース(A)
  • ある程度明確な現象・指標があって、カイゼンの必要性を感じるケース(B)

の2つがあるような気がします。で、(A)の場合ってのは、色んな考具や計測手法を駆使して、問題の「見える化」を行い、(B)の状態までもっていきます。(B)の場合は、実際にカイゼンに取り組んでいくことになりますが、気を付けたいのが目の前に現れている現象・指標を、直接カイゼン対象にしないということ。いま、それが起こっているのは何故なのか、何が本質的な部分なのかを考えます。なぜなら目の前の現象・指標は、本質的な部分を起因として現れた結果でしかないと思うから。それをしないで、目の前だけをカイゼンすると、部分的には良くなるが全体としてみると悪化している、という部分最適化を招いてしまうかもしれません。だから、まずはどこをカイゼンすればいいのかを探る作業から始めることになります。XP 2nd EditionでRoot-Cause Analysisとして紹介されているやつであり、トヨタ系では5Whyといわれているやつ。たぶん。
例えば、「いまプロジェクトで作っているプログラムにバグが多くて困っている」という現象をカイゼンしたいとします。目の前のプログラムだけを考えると、テストケースを増やすとか、コードレビューをするとか、そんな対応になりそうです。それはそれで悪くないかもしれませんが、ちょっと待てと。もっとよく考えてみようじゃないかと。何でバグが多いの?どんなバグが多くて、何でそうなったの?Why、Why、Why、Why・・・。ここだ!と思えるところまで、何度も何度も問いかけてみます。以下は、ある日の私の心の中の会話。


「プログラムにバグが多くて困っている」
-どんなバグが多い?
「仕様的に誤ったプログラムを書いている」
-何故間違ってしまった?
「設計書通りにプログラムを書いたが、そもそも設計書も間違っていた」
-何故設計書の間違いに気づかなかった?
「それを判断できる情報がないので、何が正しい状態か分らない」
-仕様に関する情報の共有ができてなかった?
「そうだね、それは確実にある」
-じゃぁ、「仕様に関する情報共有」をテーマにカイゼンしよう!

どこまで問いかけるのか、どんな問いを投げかけてみるのかは、感覚の世界だと思うので経験がモノを言うんでしょう。投げかける問いによって、方向も全然変わってしまいます。例えば
「設計書通りにプログラムを書いたが、そもそも設計書も間違っていた」
の次に
-何故間違った設計書を書いてしまったのか?
という問いかけをすると
「設計書のレビューが不足していた」
となり、
-設計書のレビュープロセスをカイゼンしよう!
となるかもしれません。どっちが効果的なのかは分らないし、状況にもよるのでしょう。複数の問いかけを投げて、2つ以上のカイゼンを同時にやるのも良いかもしれません。この辺りの勘所は、実践してみなければつかめない。やるしか!やり続けるしか!