これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

信頼するという選択

作業を依頼した人を信頼する。
チームで作業する場合、
おそらくそれが最も効率の良い選択だ。
自分と同じかそれ以上の質で作業してくれる人がいれば、
その人に全て任せてしまえばいい。


だが、そうじゃない場合は?


質を確保するために、
その人の作業に対して何らかの介入をすることになる。

  • 作業自体はお任せで、成果物をチェックするレベル。
  • 作業の途中途中でチェックして、軌道修正するレベル。
  • 付きっきりで一緒に作業するレベル。(これはもう教育ですね)

下にいくほど、チームの作業効率は落ちてしまう。
作業を依頼された人にとっても、
自分の好きなようにやれないから、
効率が落ちたり、余計な作業が増えたりと
不快なこともあるでしょう。


例えば、テストを依頼された人がいて、
成果物をチェックするレベルであれば、
テスト結果をこと細かに残していく必要がある。
画面のスクリーンショットを撮ったり、
その時のDBのデータを取得しておいたり。
テストという作業の成果をチェックするには、
そういった付加作業を行うことになる。
まぁ、当然効率は落ちますよね、
面倒臭いですよね、と。


だから、もし信頼されて作業を任されているなら、
できる限りのことをやって、作業の質を高めよう。
必要だと思うことは、面倒臭がらずにやろう。
「まぁ、いいか」と手を抜いてはだめだ。
結果として、それが最も効率良く作業することに繋がる。


もし、いま成果物をチェックされてる立場なら。
これも同じだ。
ああ、こいつには任せちゃっても大丈夫だな。
そう思わせてやれ。


もし、作業手順自体に口を出されている立場なら。
多分、まだ型が見に付いておらず、
作業を完了させるまでの段取りが
分かっていないと思われている。
指導してくれてる人から型を学べ。
そして、
「こういう手順で作業をすすめればいいですよね」
ってな具合に段取れることを示して見せよう。
それで、もし信頼してもらえたら、
「じゃぁ、出来上がったら声かけて。チェックするから」
なんて言われるかもね。