これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

二十一世紀を生きる君たちへ

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)

二十一世紀に生きる君たちへ (併載:洪庵のたいまつ)


先日、6時間生放送で教育に関するテレビ番組(フジテレビだっけかな?)をやってて、
その最後の方に出てきた本。
あの司馬遼太郎が教科書向けに書いたという文章らしい。
(その教科書は結局採用されていないとか)
どうしても読んでみたくなって、買ってみた。

二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

この文章にちょっと考えされられた。
今、我々はWebというものを使って、
かつてなかったような経験をしているわけですが、
果たして我々はWebというツールを正しく使えているのだろうか、
と疑問を抱くこともしばしば。
対面したコミュニケーションでないからなのか、
匿名性があるからなのか、
そこでやり取りされる言葉には、
生の感情にとても近いものが表現されてたりもする。
それは普段はオブラートに包んで表現されるようなものなので、
痛快でスカッとする時もあるが、とても攻撃的であることも・・・。
そして、それが時折、悲惨な結果を招いたりもする。


果たして我々は、今手にしているこの技術を正しく使えているのだろうか?
我々は、この発展した(、そして発展し続ける)技術を正しく使えるように、
自己中心的にならないように、
欲望のままに行動しないように、
もっと自己を確立せねばならないのだ。
ここで言う自己とは、

自分に厳しく、相手にはやさしく。

だ。
これは当たり前のことではあるけれど、簡単なことではない。
それは、これが人間の本能によるものではないからだ。
だから、

私たちは訓練をしてそれを身につけなければならないのである。

ということなんだ。


この文章は、本来、子供たちに向けられたものらしい。
が、自分を振り返ってみて、
三十路に踏み出した身でありながら、
自己を確立できていないことに気づく。
一歩ずつ、少しずつ、自己を確立するための訓練をしていきたい。
そう思った。