これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

机上だけで理解したプロセスがもたらすもの

いわゆる、教科書的なプロセスをお勉強はしましたよ、って場合の話。何かとても重要なものが欠落している。んで、彼らが語るそれは現実味がない。何が欠落しているのだろうか。思うに、プロジェクトの様々な局面におけるHOW(どうやるのか)がないのだ。そして、そのHOWを適用せざるを得ない状況におかれた経験がないのだ。
教科書的なプロセスは、プロセスのフレームワークとしては役に立つのだけど、それだけで実用に耐えうるものではない。足りないものがたくさんある。実際のプロジェクトでの経験をフィードバックして、様々な状況をくぐり抜けてきたノウハウを詰め込んで、そのチーム専用のプロセスへと洗練させてこそ使い物になるのだと思う。これはAgileだろうとWaterfallだろうと、同じだと思う。
で、ですね。大企業のシステム子会社みたいなところだと、ある程度以上の地位にいる人達は、親会社から出向してきた人だったりする。で、彼らが理解しているプロセスは、まさに教科書的なプロセスであることが多い(全てがそうだとは言わないけど)。で、そんな人たちが部下の仕事をチェックするわけですよ。で、そのチェックが鬼。彼らは、ある意味理想の世界の住人なので、現場のプロジェクトをみると、ツッコミどころがいっぱいあるらしい。で、どうなるかというと、現場の人たちは上司のツッコミに対応するだけでいっぱいいっぱい。信じられないほどのムダを抱え込み、本来のプロジェクトどころではなくなる。もうね、見てて可哀想というか。
たぶんだけど、別に上司の人も現場の人も、無能なわけではない。話してみれば、頭が切れる人もいるし、広い視野をもってる人もいるし、物事を常識的に考えられる人もいる。でも、なんだか逃れようのない大きな悪循環の中で、もがき苦しんでいるような感じ。違う環境にいれば、もっと能力を発揮できて幸せだろうに、と思わないでもない。何故辞めないのか、と思わないでもない。まぁ、人それぞれ、思うところもあるのだろうけど。
せめて、彼らがみることができないプロジェクトそのものが上手く回るように、微力を尽くすこととしよう。私の関わったプロジェクトの関係者が、わずかながらでも幸せになれるように。