これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

会社に報酬UPを要求することが意味するものは

やりたい仕事をやれるのであれば、収入にはさほどこだわらない。なんて書くと、お金に執着してなさそうですが、そういうわけでもない。年収400万で好きな仕事やれるのと、年収500万でやりたくない仕事をやるのであれば、前者を選びますって程度のもんです。後者の金額が上がり続ければ、どっかでそっちに惹かれるのだらう。
で、書きたいのはそんなことではなく。例えば、あなたが組織の中で最高に仕事ができる社員の一人であり、かつ、あなたが報酬のUPを望まないのであれば、それって他の社員の報酬UPを妨げることになっているかもしれない。給与制度にもよるのだろうけど。だが、もし成果主義をとる組織であれば、あなたは最高の成果を出す社員の一人であるはずなので、報酬が成果に見合っていないと思えば、組織に対して要求すべきだろう。あなたより低い成果しか出せない社員はいっぱいいるんだ。彼らの報酬をUPさせない口実に、あなたの報酬額が使われているかもしれないよ?あなたより低い成果しか出せないものに、あなたより高い報酬をあげるわけにもいかないだろう。
だからね。不適切な報酬しか得られていないならば、さらなる報酬UPを要求するのは、あなたの権利であり、義務でもあるのだ。それなくして適切な成果主義は成り立たんと思うのだ。
さて。上の「あなた」を「私」に変換・・・っと。うらー、金よこせー。(ぉ

(追記)若干文章を修正・・・。