これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

人はポジティブにもネガティブにもなれる

ある事柄についてその人がポジティブであるかネガティブであるかは、その人の性質というよりも、その人がこれまで積み重ねてきた経験に寄るところが大きいように思う。確かに基本性質としてのポジ・ネガというのはあると思う。しかしながら、基本性質がポジティブであったとしても、目の前にある事柄にポジティブになれるとは限らない。その事柄に類する経験を無意識に引っ張り出し、それが成功した経験であればポジティブに反応し、失敗した経験であればネガティブに反応するのではないだろうか。そこでの基本性質の影響は微々たるものだと思う。もし、極端にポジティブに反応するとすれば、その人は過去に失敗した経験がなく、極端にネガティブに反応するとすれば大きな負の経験をしたことがあるということなのだろう。
ちなみに、人が最初に経験を積み重ねる場は家庭である。大抵は両親。家族とのやりとりが肯定的なものであれば、その後、ポジティブな反応を示すことが多くなるだろうし、やりとりが否定的なものであれば、その後、ネガティブな反応を示すことが多くなるだろう。虐待などは否定的なやりとりの最たるものではないかと思う。
ああ、なんだか話が飛躍したな。戻そう。私は以前、局面に応じてポジティブとネガティブを使い分ければ良いと書いた。何かを成そうと思うとき、ポジティブになれなければ事を始めることができず、ネガティブになれなければ現実的な計画を立てることはできない。そのためには、成功した経験も失敗した経験も必要なのだ。行動し、成功も失敗も積み重ねていく。経験を積むとは、そういうことなのだな。