これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

密室で決まってしまう

人に不満を抱かせるものの一つに密室会議があると思う。何だか知らないけど、全く見えないところで物事が決まってしまった、ってやつ。そういうのを最近、会社でよく感じる。
たぶんだけど、当人には密室で決めているという感覚はない。でも、なんか知らない内に決めてしまい、全く相談がないので自分や周りは大いに不満を持つわけだ。組織ってのは、色んな人がいて、色んな思いがあるものだ。意志決定というのは、ある意味、そうした色んな思いをばっさり切り捨てることでもある。まぁ、それは仕方ない。船は一方向にしか進めないものだから、どっちに進もうと、別の方へ行きたい人がいるだろう。問題は、自分の思いが切り捨てられる過程にある。
ポイントは意志決定プロセスへの関与度合いではあるまいか。自分に意見を言う機会が与えられ、それが検討の場に上る。そしてダメだったとしても、それに対する説明がある。それがあれば、不満を持ったとしても、その程度は和らげられるんじゃあるまいか。
自分の思いを発言する機会もなく、何だか訳の分からないうちにこっちに行くことになってる。そんなんで人が動くのか、と。いや動くんだろうけど。負の感情を溜め込みながら、ね。
なんだか、組織運営の形態としてトップダウンって無理くね?なんて思ったりもする。それが可能なのは、ほんの一部の優れた決断力とカリスマを備えたリーダーだけじゃあるまいか。
もっと普通の人がリーダーやるときは、周りの人が関与できるような意志決定プロセスを作らんと、周りはドンドン不満をためていって、それがどこかで噴出したり、次第に組織自体を腐らせていったりするんだな。たぶん。

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