これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

動機がないということ

動機がないってのは、ほんとに手の打ちようがない気がする。どんな素晴らしい価値観や考え、手法であっても、「それをやろう」という動機がなければ全くの無意味。んでもって、動機ってのは外部から形成できるものでもない。他人を変えることはできないってのは、この辺に起因するんじゃなかろうか、と思う。
逆に、動機さえあれば、それを行動へつなげるお手伝いをすることは可能だ。あるいは、その人の中に埋もれている動機を見出す手伝いをすることは、可能かもしれない。その人にその意思があれば。こういうのがコーチングなどといわれる行為なんだろう。
強い人間が弱い人間を助けることはできない。助けることができるとしても、それは弱い人間が自分で強くなろうとしている場合のみである。そんな記述が「原因」と「結果」の法則に書いてあった。その通りなんだろう。
そんな前提に立ったとき、私にできることはなんだろうか、と考える。今のところ至った結論は

  • 相手は相手の意思でしか変わらない。そう思う時が来るのをじっと待とう。決して押し付けたりはしないようにしよう。
  • 相手が変わろうと思ったときに手助けできるように、自分を成長させよう。
  • 自分を変えて見せよう。言葉と行動でメッセージを発しよう。それが相手の内部で化学反応を引き起こす可能性を信じて。

かな。