これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

あまり知らない相手を非難したくなる人のココロ

相手の状況があまり分かってない場合、目に見える範囲においてマズそうだなと感じると、人は憶測をする。で、憶測なんだけど、いつの間にかそれが確信に変わる。確信になると、それを補強するかのように特定の情報に注目する。そして確信を深めていく。本当は憶測なんだけど。でも、その人にとっては確信なので、相手を責めはじめる。
私は相手のことを本当に理解しようとしたのだろうか?
相手の状況をちゃんと理解しようとしたのだろうか?
その上で、相手の状況に自分をおいたときに、何ができるのか想像してみたのだろうか?
今、問題を解決するために、自分にできるベストを尽くしたと言えるのだろうか?
相手に協力できる全てのことをやってみたのだろうか?
相手は私の非難を浴びるような行動を、本当にとっていたのだろうか?
あるいは妥当な非難であったとしても、それによって物事が改善するのだろうか?
非難することは誰にでもできる。あるべき姿と比べればいいのだから。大抵の人は、どこかに非難できる点があるだろう(これはつまり、自分にもあるということだ)。あるべき姿と比べるよりも、まずは現在の相手のことを理解しようと努めたい。相手のマズイ所よりも、自分のマズイ所へ目を向けたい。それが解決への第一歩だと思う。