これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

主力プログラマーに他メンバーを教育させることの非効率さ

あとで書く 眠いから明日にしよ。。

プログラマーの生産性には大きな差がある、というのは有名な話。
あるプロジェクトの主力プログラマーAさんは、新規で参加してきたプログラマーBさんの教育担当になった。んで、Bさんが立ち上がってくるまでの教育に5日かかった。んで、仮にAさんはBさんの10倍の生産性があるとする。
そうすると、Aさんにとっての5日はBさんにとっての50日に匹敵する。だから、Aさんが教育を担当した5日間の投資を回収できるのは、Bさんが普通に仕事ができるようになってから50日後ということになる。
こう考えるとですね、能力差のありすぎるトレーナー・トレーニーのペアは不味いんじゃないかと。特に、上の例でBさんの能力が低ければ低いほど、教育に要する期間が長くなり、かつ立ち上がったあとの効果も小さいわけで。
だから、もしプロジェクトに平均的なプログラマーのCさんがいたとしたら、Cさんを教育担当にするのがいいんだろう。教えるという行為自体がCさんの教育にもなるし、一石二鳥。たぶん。きっと。もしかしたら。
と、こんな感じで考えてみたが、どうだろう?


あー、あとあれだ。ちょっと派生するけど、Bさんがまともにプログラムを組むために詳細な内部設計書が必要だとして、それをAさんが書くってのも似たようなことになるな。