これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

匿名

誰かが何らかの意見を言うとき、通常、その意見の内容とともに「誰が」言った意見なのかという付加情報がくっついてくる。で、この「誰が」というのが思いのほか大きいわけで。例えば、「オブジェクト指向なんかダメだ!」なんて意見を技術に明るくないマネージャが言うのか、普段からオブジェクト指向に積極的に取り組んでいるエンジニアが言うのかで、全然印象が異なる。意見に対する信頼性というか、そんなの。
で、この信頼性というのが、時に思考停止を生む場合もあるわけで。あの人が言うから間違いないだろう、みたいな。自分の頭で考えずに、鵜呑みにしてしまう危険性がある。
で、匿名で意見を述べる場があると、この「誰が」という情報が削ぎ落とされる。純粋に意見の内容を吟味することになるんじゃないか。そうすると、匿名による発言ってのにも一定のメリットはあるよな〜、と思った次第。