これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

想像力が相互理解の第一歩

あまり面識がない人とお仕事をするとき、重要なのは想像力だ。相手が何を感じ、どう思っているのか想像する姿勢だ。
相手のことを想像できれば、その人を理解できるわけではないが、想像しようとしなければ相手の立場に立って考えることはないだろう。主観というフィルターを通しているので、想像が当たるとは限らないし、寧ろ当たらないことの方が多いだろう。が、相手のことを想像することがなければ、なんだか相互理解のきっかけすらないように思う。
人は理解できないものを許容しない。表面的にはともかくとして。理解できない相手が、自分にとって疑問符がつく行動や判断を下すとき、あるいはそうしてるように見えるとき、私たちはその人を無能扱いする。良い点よりも、悪い点に目を向ける。その行動や判断の真意や背後にある心理にまで、目をむけることができない。で、非難する。非難された相手は、私たちのことを快く思うだろうか。私たちのことを理解しようと思うだろうか。多分、私たちのことを私たちと同じように扱うんじゃないだろうか。
想像することができれば、対話のきっかけにもなる。傾聴のきっかけにもなる。対話を通じて相手の理解を深めれば、想像の精度も上がるだろうし、相手に貢献することもできる。その繰り返しを通じて、信頼関係が築かれる。信頼関係があると、多少の非難・批判にも耳を傾けることができるだろう。建設的な議論をすることもできるだろう。
自分から見て、相手がおかしな行動や判断をした時、条件反射的に責める気持ちを持つのではなく、「相手なりに正しい行動なんだろうな。真意は何だろう?そうしてしまう背後にある心理は何だろう?」という姿勢を持つことができれば、信頼関係を築く第一歩になるんじゃなかろうか。
#うーん、箱の話だな、こりゃ。