これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

中長期的な目標は意思の表明である

また将棋から入るわけですが。
次の一手を決める時に、目の前の状況を改善する手を打つのか、もっと先をみて全体的な流れを良くする手を打つのかって話があるのかな、と。で、もっぱら前者で突き進んで、いつの間にか負けっぽい流れになってたりするダメダメな私です。なんで後者の手が打てないかといえば、それは分からないからなんですよね。目の前の数手なら、ある程度相手の反応も想像できるけど、もうちょっと先になると、どう展開するかなんて膨大なパターンがあるので分かんないす。
で、ふと思うことがある。よく仕事の中で「中長期的な目標を持ちましょうよ」と言うことがある。で、大抵の反応は「難しいよ、分からないって」な感じ。ああ、なるほど。同じことなのか、と。分からないから、こうするって言えないんだなぁ、と。できるかどうかも分からないようなことを言えない/言いたくないんだなぁ、と。ドラッカー曰く、

われわれは未来についてふたつのことしか知らない。ひとつは、未来は知りえない、もうひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである

であるので、無理もないことかもしれない。
でもね、一方でドラッカー曰く、

「それでも未来を知る方法は、ふたつある」と。

 一つは、自分で創ることである。成功してきた人、成功してきた企業は、すべて自らの未来を、みずから創ってきた。

である。つまり、中長期的な目標を示すというのは、未来を予測することじゃぁないんだ。「こうするんだ!」という意思を示すことなんだ。それが分かってしまえば、あとは力強く一歩を踏み出すのみじゃなかろうか。


まぁ、目の前の状況に対応するのに必死で、先のことなんか考えられないってケースもあるわけですけどねw; 将棋でいうと「詰めろ」や「王手」を連続で掛けられてるようなものかしら。