これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

計画する意味

事前にどんだけ計画しても、その通りに進む保障はない・・・っていうか、通常は色々起こって何らかの計画していない作業が割り込んでくるように思う。じゃぁ、計画する意味はないかといえば、そうではなくて。例えば、計画したことの5割が想定通りに進めば、それはそれでメリットがあるわけですよ。その場その場で対処することが半分になるわけだから。作業の半分は、事前にイメージできてたことになるわけだから。やみくもに作業を進めるより、どれだけいいことか。あと、計画には様々な時点でのToBeが記述されているので、現状とのギャップを把握しやすくなるというのも、ある。
多分、マズイのは計画に対して過度な期待を持つことなんだろう、と。計画は絶対ではない。作業が進めば、計画を作成した時よりも色々分かっているだろうから、より正しいToBeというのも見えるわけで。そんときゃ、計画を変更すればいいわけだ。計画ってのは、物事を上手く進めるための手段の一つにしか過ぎないんだし。


もう一つ。何か新しいことを始めようとして、それについて計画を立てる場合の話。あとで書く。


新しいことを始めるときって、怖いから色々計画するっていうか、検討するわけです。そうすると、「あ、これはこのままやっても無理っぽいな」と思うこともある。で、じゃぁ、それで諦めるかというと、そういうわけでもない。100%無理っぽいと思っても、所詮は事前に机上で検討しているだけで。怖いからリスクを過大評価している場合もある。
で、計画から分かるのは、「いま考えているやり方で進めても、どうも上手くなさそうだ」程度のもんだろう、と。で、それはそれで、実は一歩進んでるんだよね。いま考えている方法だと上手くいかなさそうなのが分かったんだから。別の道を探ればいい。やりたいことを実現するために、いまの選択肢を捨て去ることで、見えてくるものもあるよな〜、と。あるいは全部すてなくても、他のアイデアと組み合わせてみるとか。
そんで事を進め始めると色々と経験するから、事前には無理だと思ってたことが無理でなくなったりとか、そういうこともあるわけで。更にいえば、例え失敗してもそこから学ぶものは大いにあるわけで。計画を過大評価してやらないでいるより、きっと何倍も良いに違いない。(この辺は個人の価値観によるかもしれないけど)


計画って一つの目安として使う分には優れた道具だと思うけど、所詮は手段であって、計画を立てるだけじゃ目的は達成できないし。ないがしろにして良いほど無意味なものではないけど、大事なものではあるけど、絶対のものではない、と。