これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

他人に貢献するとは我慢することではない

他人への貢献ってGive and Takeではないわけで。だから、基本、見返りを求めない行為である。相手のための行為である。
で、「貢献、貢献・・・」と考えてて陥りがちなのが、自分を抑圧して、我慢して相手に貢献しようとすること。でも、我慢してるとダメなんですよね。自分を押し殺しているから、自分にとって大切な欲求がおざなりになってしまい、「我慢してやってるんだぞ」的な心理状態になる。それってどこかで「だから感謝しろよ」的な見返りを求めているような気がする。んでもって、それが相手にも伝わる。メッセージって、言葉だけじゃなくて様々な仕草や喋るときの抑揚みたいなのでも伝わるから、その辺に出ちゃうんでしょうね。そんな状態で相手が快く思うわけもない。むしろ不快に感じるんじゃなかろうか。そうすると、「我慢してこんなにしてやってるのに、あいつは不満ばかり言いやがって」的なことに。
我慢して行う行為は、貢献ではない。弊害にしかならない。
貢献とは相手のための行為である。と、同時に実は自分のための行為である。情けは人の為ならず。巡り巡って己がため。相手から直接、わかりやすい何かが返ってくるとは限らないけど、どこかで自分もメリットを享受するんだろう。貢献とは、短期的には利他的な行為であり、長期的には利己的な行為なのかもしれない。
まぁ、とりあえず、だ。自分に対してニコニコしながら何かをしてくれる人がいたとして。そしたら、その人に対しては自然と笑顔になる。その人が困っていれば、何かしたい思うようになる。あるいは自分が貰った貢献が心地よいものであれば、ふと、それを誰かにしてあげたいと思ったりもする。そういう感じって「幸せ」だ。
であれば、自分から先にそれを行えばいい。そうすれば、自分から「幸せ」がスタートする。そして、いつか自分もその「幸せの循環」の中に入ることができるかもしれない。そんな風に思いながら「貢献」したい。