これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

差がつくのは「経験」の部分なんだろう

例えば今のネットの世界には、入り口としての最低限の情報はものすごく充実している。でも入り口がすごく充実する一方で、ディテールを知るために実際に出向くことができる先は時間的にも空間的にも限られている。入り口だけが爆発的に広がったように思えます。

これは凄く実感できる。概要レベルであれば、大抵のことは検索することで知ることができる。日々Blogを読んでいれば、色んな情報が入ってくる。もう「知っている」ことだけでは差別化なんて出来ないわけだ。あ、いや、違うか。日本だったら海外との間に「言語の壁」があるから、海外の情報を得ることが出来る人は、そうじゃない人より多くを「知っている」ことになるか。まぁ、いいや。おいとこうw
概要レベルの情報を得るのがとても簡単になった今、何で差別化できるのかといえば、概要以上のことを深く知っているかどうかなんだろう、と。それはおそらく、経験に伴って得ることができる知識ではないか、と。つまり、「知った」後どうするか?というのがポイントなんだろうな。
LifeHacksでもGTDでも何かの開発手法でもフレームワークでも将棋でも何でも、知ってその後、実践するかどうかが大きな分かれ道なんだろう。知って、何でもかんでもやれとは思わないけど。そこには選択と集中が必要だとは思うけど。でも、とりあえず、「経験を伴わない知っている」なんて、大したもんでもないってことだろう。その辺をちゃんとわきまえておかないとな〜。