これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

感情は自己増殖する

こう、罵倒されている誰かを遠くから見ていて、その罵っている人と一緒にいれば、いずれ自分もその激しい感情の対象となるんだろうな〜、ってことは容易に想像がつくわけで。だったら、その人とは一緒にいたくねぇよ、と思うのは人として自然な心理なわけで。
ましてや、その人のために身を粉にして貢献したいかといわれれば、普通、嫌だし。そうすっと、その人にとっては、周りの人が全く思い通り動いてくれないと感じちゃうわけで。ますます満たされないわけで。だから、ますます人を罵るわけで。悪循環だよなぁ。
じゃぁ、誰かがその人に助言をしようと思うかといえば、どっちかってーとお近づきになりたくないと思っちゃうわけで、助言なんてしようという奇特な人も中々現れない、と。
で、更によろしくないことに、罵られた人がヒエラルキーの下の層へ向けて、それと似たようなことをすることがある。そこでもまた、同じようなことがおきる。なんつー悲しい連鎖だろうなぁ、と思う。
正反対のベクトルの感情でも、同じような連鎖は起きるんだろうけど、結果は全然違うよな〜。うーん・・・。そうすっと、やっぱ自分からスタートするのが出来ることなんだろうなぁ、といういつもの結論に至る、と。