これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

上司として人を育てるということ

昨日、とある飲み会の席で「人を育てるのに向いていない」という悩みを話した。で、まぁ、色々とDisられたw
せっかくなので思うところを纏めておこうとおもい、エディタに向かっているわけで。

具体的に何かに取り組もうとしている部下に対して

例えば、部下があることについて「Aにしよう」と考えているとする。で、自分だったらどうするかを考えてみたときに、「そうはしないな〜。俺ならBだな。」と思ったとする。
そこで「Bにしたら?」とアドバイスするかといえば、しない。
なんだろう。「まぁ、別にAにしたいと思っているなら、それでいいか。」と思ってしまうわけだ。


なんでかな、と改めて考えみると、背景には「ほとんどの選択は、結局のところメリット・デメリットの選択だ」という考えがあるのだ。
よりぶっちゃけて言えば、「大抵のことはどっちでもいいじゃね?やってみれば?」って感じか。
それを実行する人が、自分で考え、そして出した結論であれば、それはそれでいいんじゃなかろうか。


まぁ、メリット・デメリットが見えてない場合だとか、BやCという選択肢が見えてない場合もある。
その場合はどうするかといえば、Case by Caseなのだけど。その基準も明確にないのだけど。この辺がダメっぽいのだけども。だからDisられるんだろうけどもw
でもなー。
言われたことって「知識」で、実行したことって「経験」なんだよね。
BやCを事前に知ってようと知っていまいと、あるいはそれらを知ることで選択をBに変えようとも、実行して「経験すること」に比べれば大差ないんじゃない?なんて思ってしまう。


うん、まぁ、だから「どっちでもいいんじゃね?やってみれば?」となるわけで。
あ、そうか。
逆に言うと「こうしなさい」というアドバイスのほとんどに価値を見出してないのかもしれないな。うん。
考えて、迷って、決めて、実行して、学習する。
それができれば、「何をやるか」なんて大した問題じゃないように思えるのだろう。
だから、「何をやるか」に関するアドバイスなんて、する気もおきないのか。
なるほど。

自分のキャリアについて悩む部下に対して

今後どうしていけばいいか悩む人は多い。で、部下が悩んでいたらどうするか。
ここでも具体的なアドバイスはしないんだよな〜。
良く言うことは「自分が何をしたいのか、どうなりたいのか考えな」だ。


SI業界だとSEだのプロジェクトマネージャだのアーキテクトだのといった言葉があるけど、これまた、「どれでもいいじゃん」なんて思ってしまう。
いや、キャリアを考えるにあたって、ある一定の枠組みがあって、その中から選択するってのは分かりやすいし、そういうメリットも理解はできるのだけど。
ただ、結局の所、その枠組みから選ぼうとも、それが自分の「やりたいこと」に一致していなければ苦しいだけだろう。
だから、どっちにしろ「自分のやりたいことを探す」という作業からは逃げられないのだと思う次第。


部下から「こうなりたい」が出てくれば、それについて出来る範囲でアドバイスすることはあるし、どう考えればいいか分からないのであれば、考えるためのツールを提示することもある。
が、例え選択肢であっても、具体的な答えを提示することは、ほとんど無いなぁ。たぶん。
で、「矢野さんの下に来た人は、自分でしっかり考えられないと道に迷う」とDisられるわけでw
いや、全くその通りだと思った。
でも、まぁ、大いに迷えばいいんじゃね?と思ってみたり(ぇ
答えが見つかるまで考え続ける。ただし、その間も目の前の仕事には全力で取り組む。
それでいいんじゃなかろうか。
迷い続け、考え続ける経験の方が貴重な気もするのですよ。

かくして何もやってない自分に気づく

こと人を育てるということに関して、自分はほとんど何もやってないわけだ。
ただ話を聞き、自分で考えるように促しているだけ。
それすらも望まない人には、ただ目の前の仕事に手を抜かず取り組むことを求めるだけ。


そうでないアプローチ(例えば、その人の適性を考えて具体的な職種を示してあげる等)があることは分かるし、そうして欲しいと思っている人がいることも分かる。
が、やはりそのアプローチを取ることは、今のところ無いんだろうなぁ。
それは自分が部下の立場に立ったときに、そうされても何の意味も感じないからだろう。
でも、それが意味をもつ人もいるであろうことは理解できる。
えいやぁ〜と割り切ってやってしまえばいいのかもしれないが、自分で意味を感じない行動を割り切ってやれるほど器用でもない。


というわけで、俺、上司としてどうよ?と悩むわけで。