これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

ネット社会に適応できるか、ではなかろうか

そう言いたくなる気持ちは分からないでもないけど・・・

ラジオなど他メディアの広告費がネットにいっただけ。ゼロサムゲームだ

ちょっと違うんじゃないかな〜、と思った。
確かにそういう側面もあるだろうけど、これまで広告を出せなかった人たちも広告を出せるようになったのが、Google Adsenseをはじめとするネット広告なんじゃなかろうか。
そういう意味ではゼロサムではないように思う。広告主のロングテール部分を拾っている分、市場全体は大きくなってるんじゃないかと推測。
まぁ、ほとんどGoogleとかOvertureにもっていかれてるんだろうけどw


タイトルの「日本のコンテンツがネットのせいで沈む」かどうかは分かんないよね。
ネットが社会に大きく影響を与えるようになって、まだ数年。ネットというものの利用方法だって、まだまだ模索している段階じゃないかと思う。
日本のコンテンツが沈むかどうかは、その環境変化に適応できるかどうかだろう。少なくとも、ネットによって沈むわけではない。
あ、テレビは沈むかもしれないけどw*1


#ソフトウェアも他人事ではない


もうちょっと書きたくなったので追記。

広告主に発言力は無くなる

ネット社会のビジネスモデルって、Googleに象徴されるように「コンテンツそのものは無料」で提供し、別のところ、つまり広告から収益を得るという感じだと思う。少なくとも、今のところ、主流はそれだ。
これはテレビなんかと一見、似ている。テレビ*2も、無料でコンテンツを提供し、広告主(スポンサー)からお金を貰っている。
ところが、ネットとテレビで大きく違うのが、広告主そのものなわけで。
テレビの広告主は、数は少ないが、その1件1件が大きな金額を提供している。だから、コンテンツ作成側は広告主の意向に逆らうことができない。
一方、ネットの広告主はというと、数はとてつもなく多いが、1つ1つの金額は小さい。しかも、広告主は、自身の広告が表示されるコンテンツを選べないし、いつ・どこで広告が表示されたかすら把握できない。だから、コンテンツ作成者に物申したいと思っても、そもそも物理的に不可能だし、仮にそれができたとしても発言力は無いに等しい。

コンテンツ作成者は閲覧者のことを考える

というわけで、ネット上でコンテンツを公開し提供するということは、従来のメディアであったような「大手スポンサーの意向」というものから解放されるのだ。
では、コンテンツ作成者は自分の好きなものを自由に作れるようになるかというと、必ずしもそうではない。なぜなら、ページビューが収益を左右する大きな要因となるからで、そのページビューを気にするということは、つまり閲覧者受けを気にするということだ。
これはテレビのスポンサーが大衆受けするコンテンツを望むのと、もしかしたら似た構造なのかもしれない。視聴率を気にする代わりに、ぶくま数みたいなものを気にしなければならないのかもしれない。
だが、そうであったとしても、数少ないスポンサーが「想像した大衆の好み」ではなく、「実際にそこに存在する閲覧者の好み」で淘汰される点において、そのメリットは大きいと思う。
コンテンツ作成者が「自分の意思のみ」で、自分が良いと思うコンテンツをネット上に公開し、「どうよ?」と問うことが可能だからだ。これまでよりも、はるかに自由度が高く、可能性も大きい。

敵はスパムとSEO

個人的に、このビジネスモデルを腐らさせるものがあるとすれば、それはスパムとSEOだと思っている。どちらも閲覧者に不利益をもたらす可能性があるからだ。
質の悪いスパムのような広告が多数表示されれば、閲覧者がそれをクリックすることはなくなるだろう。ネット上での広告ビジネス自体が成り立たなくなるかもしれない。
SEOも行き過ぎれば検索結果を歪めてしまう。閲覧者が、本来望むコンテンツとは違うものを見せられてしまうかもしれない。そんなことが続けば、ネット上でコンテンツを見ようという気が失せてしまう。
これらの課題がクリアになれば、と望みはするが、おそらくイタチごっこが続くのだろうなぁ。

*1:個人的には規模を縮小して残り続けると思っています

*2:NHKを除く