これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

デジタルツールの可能性

アナログツールの良いところは、自由度の高さにあると思う。
色々な書き方ができるので、何か考えを書き出したり、アイデアを表現したりと、右脳系の作業には欠かせない。人に説明する場合も、必要に応じて様々な書き方ができるので便利である。こういった用途に、デジタルツールはなかなか向かない。
でも、その自由度の高さが、逆に仕事の足かせになることもある
自由すぎて何でも書けるから、何を書いていいか迷うのである。また、自由すぎるので、同じものを求めても人によって書く内容が異なってしまうこともある。
こういう場合、アウトプットするものの書式を決めてしまうのが有効である。書式が決まっていれば、迷いを軽減できるし、内容もある程度は統一できる。自由度をわざと下げることで、効率良く作業できるのである。


さて。
書式が決まってしまうということは、実はデジタルツールの活躍の場が生まれるということでもある。
決まった書式に入力していく場合、入力上の問題はないし、何よりその後、入力したデータを使い回すことができる。集計したり、別のドキュメントに自動で転記したり、あとから検索したり、遠いところにいる人と共有したりできる。
こういったことが可能になるのは、書式が決まっているからだ。そこに入力したデータが「何を意味するか」を、コンピュータが認識できるということなのだ。それが名前であること、タイトルであること、タグであることが分かるのだ。だから再利用できる。
そして、再利用できることが、アナログツールに対する圧倒的なアドバンテージである。


さて。
そうすると、デジタルツールでもアナログチックな入力ができるものがあるけど、再利用性はいまいちなのが現状。で、そこに、うまく書式を当てはめれば、もっと有効活用出来るのではなかろうか。書式といっても、書類のようなかっちりしたものじゃなくて、もっと感覚的なもの。要はそこに書いてあるものが、何を意味するか判断できればいいのだから。
完全にフリーなものと、かっちりと書式が決まっているものの中間あたり。その辺に何か可能性を感じるのだけど、ここからはアイデアを模索したいので、終わり。