これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

向かいやすい方向というのがある

人は嫌なものを避け、好ましいものに近づく。
これは当たり前のことだろうと思う。
しかしながら、何かのルールだの規定だのを考えるときに考慮されるのは、

  • こうでなければならない

であることが多い。それを人が好むと好まざると、そうすべきはそうすべきであるの一点張り。だって、そう考えて作る方が楽だもん。人は楽な方に流れる。
で、実際に人がそう動けばいいのだけど、義務感や何らかのモチベーションを強く持っている一部の人を除き、そのようにはならない。自然に行動しているだけでは、人は理想的には動けないのだろう。
で、次なる策は、罰を与えるというもの。別に罰則を明文化するというわけではなく、叱責だとか罵倒だとかそういった類のものが多いんじゃなかろうか。人は嫌なものを避けるので、叱責されたくないからしぶしぶと言われた通りにやるようになる。
で、この辺で「上手くやれたら褒める」だとかの好ましい行為が行われると、ルール通りに行動することが強化されるのだろうけど、実際はやって当たり前という感じの反応を貰うだけだ。
人は完璧でないので、やろうと思ってもルールどおりにやれないこともある。また、そもそものルールがおかしすぎて、その通りにやれないこともある。そして叱責される。
この繰り返しがもたらすものは、その場で何とか建前だけを整えようとする人と、そういう人たちで構成された組織である。


組織にマネジメントが無い、というのはこういうことだなぁ、と思った昼下がり、って昼下がりって何時くらいだっけ?