これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

効率的であるためのムダ

今読んでいる本に共感した勢いで、効率ということを考えてみる。
効率的というのは、目の前の仕事*1をどれだけ早く片づけられるか、ということだろうか。いや、多分間違ってはいない。ポイントは「仕事が片づいた」とは、どういう状態をさすのか、だ。
仕事を片づけるとは、単に作業を終えるという意味ではない。作業を早く終えることが効率的だというのなら、効率化は簡単だ。でも、そうやって終えた作業の成果物は、ちゃんと質を確保できているのだろうか。
仕事というのは、その成果を受け取る人がいるのである。成果を受けとった人は、そこから別の仕事を始める。だから、成果物の質に問題があった場合、次の人の仕事が滞ってしまう。
そうすると、問い合わせが頻発したり、成果物が差し戻されたりして、終えたはずの仕事が再び目の前に現れることになる。
これでは「仕事が片づいた」とは言えないだろう。


仕事を片づけるには、十分なだけの質を保てるように、丁寧に作業をやらなくてはならない。見かけ上、作業を終えるのは遅くなってしまうが、トータルでみれば、その方が効率がいい。
そして、丁寧に仕事をするというのは、とても疲れるのだ。だから、自分自身をなるべく良い状態に保ち、仕事に望みたい。
そうすると、例えば昼休み以外に30分以上の休憩を取ったり、仕事の合間にWebをみちゃったり、とってもブルーな月曜日の午前中に自分の好きなことをやったりと、こういう行動をとることが非効率とは一概に言えない。
いや、無論、良くないムダというものもあるので、何でもOKというわけではない。だが、良くない状態で仕事に取り組んでも、なかなか丁寧には作業できないものだ。
要は、良い状態で仕事に取り組むための儀式のようなムダがあるよね、ということなのだ。これは以前書いたことがある、タスク管理とエネルギー管理は両輪 - これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略でいうところの、エネルギー管理の一つだと思うのである。


タスク管理だけでは補えない何かがあって、その一つがこういうタスクリストには載ってこない「エネルギーを整えるためのムダ」なのだろう。

*1:仕事じゃなくてもいいんだけど、書きやすいのでここでは仕事で