これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

社会的企業をどう捉えれば良いか

id:iammgさんの社会起業家に関するエントリーが面白い。社会起業家については、以前テレビで観た事があって、そのときは「ふ〜ん」で終わらせてしまった自分を恥じる。
さて。

強い思い
社会問題への激しい怒り、そして何が何でもそれを解決したいという強い思いを有している。


ビジネスは手段
思いを実現するために、あくまで手段としてビジネスの手法をもちいている。


働くことそのものが生きがい
社会起業家が共通して、「人生を無駄にしたくない!」と言う姿に、働くことそのものが人々の生きがいになっているのだということが見て取れる。

私はこの3点を読んで、ビジョナリーカンパニーを思い出しました。というのも、これがビジョナリーカンパニーの「基本理念」を中心とした考え方に良く似ていると思ったからです。
基本理念とは

基本理念=基本的価値観+目的

であり、基本的価値観と目的から成ります。
そして、基本的価値観とは

組織にとって必要不可欠な不変の主義。
信念である。
方針も経営手法も目標も基本的な信念に反すると思われる場合には、いつでも変更しなければならない。
信念とは、利益よりも優先して、「自分たち」が提供したいモノ/提供できるモノ。
そして、そうすることが息をするように自然なこと。

となっています。これは社会起業家のそれと良く似ている・・・というか私には同じものに見えます。
であるとすれば、社会起業家が作る企業(以下、社会的企業)というのは、もしかしたらビジョナリーカンパニーの卵なのかもしれません。
しかし、であるならば、これは通常の企業にも当てはまることがある。強い使命感を持ち、その実現のための手段として経営を用いる企業は、社会的企業以外にも存在するので、社会企業固有の性質というわけではないように思います*1。経営関連の書籍を読んでも、こういった記述は結構見かけますし。
そうすると、社会的企業と通常の企業の本質的な違いは、一体何なのでしょうか。寧ろ、企業として、本来追い求めるべき価値をどこまでも追求しようという姿にすら見えてきます。


それともう一つ。
実現の手段として経営を用いている以上、どうしても利益を求めざるを得ない点です。利益が出なければ、事業を継続することができませんし、利益を必要とするということは、当然ながら対価を求めるということです。
そして対価を求めるとき、それを支払えない人たちが絶対にいて、状況によっては彼らをサービスの対象外とせざるをえない時があるはずです。この時、ボランティアや慈善事業とは違う性質が見えてきます。別に悪いことではない*2と思っていますが、ある意味、企業のドライな面が出てしまう時でもあります。



さて。


よって、私は社会起業家社会的企業を以下のように捉えます。

  • 強い使命感を持ち、その実現のために経営を用いる起業家および企業
  • 手段として経営を用いることで、より継続的に、より大規模に、より高い質で社会的問題を解決することができる
  • 使命感を優先することが遺伝子として組み込まれてはいるが、社会的企業自体が生きるために利益を求める必要があり、だからこそ、やはり「企業」なのである

*1:必要条件ではあるかもしれない

*2:経営を手段として用いることで、より多くの人を助けることができるのだから