これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

高速道路の先を進める人材が欲しいって、そりゃそうだ

最近、会社での社員教育について話し合うことが多いのですが、そこで出てくるのは

  • 分からないことは分からないなりに自分で調べ、何とかできるような人材になって欲しい

という意見です。その場で話し合っている人達は、会社の比較的偉い人ばかりなので、そういうことが出来てきたという背景があります。であれば、そこを求めるのは至極当然の流れなのかもしれません。
しかし、改めて考えてみると「そうすること」は結構しんどいものだな、と思ったりもします。

分からないことにチャンレジする辛さ

例えば、分からないことがあったらどうするでしょうか?
第1選択はGoogleのような検索エンジンを使ってみることでしょう。これは恐らく、大抵の人がやることだと思います。しかし、それで直ぐに答えが出てくるものはいいのですが、

  • 断片的なものしか得られない
  • 欲しい回答と似ているが違うケース
  • 全く無い

といった状態になると、途端に難易度が上がります。いや、上記以外についてはWebとGoogleが難易度を下げてくれたというのが正確でしょうか。


ともあれ、検索エンジンで直ぐに答えが見つからないという状態は辛いものです。
自分で作業してて最もキツイという思うのは、先に進めないトラブルに直面して、簡単に解決策を入手できず、試行錯誤しながら何とか前に進もうともがいているときです。こういう作業を繰り返すことが、地力をつけていくのですしょうけど、それでも辛いものは辛いのです。
上手くいかなければ、その日一日、何も進まずに終わってしまうこともあります。徒労感と無力感が圧倒的な力で押し寄せ、嫌になってしまうこともあります。


それを乗り越えられる人材は、そりゃぁ欲しいです。
新しいことをやろうとすれば、こういったことの連続です。逆に言うと、それに負けない人材がいなければ、新しいことはできないわけです。あるいは、その自分はある程度分かるけども、その人にとっては未知の分野となる仕事を任せることもできないわけです。


しかし、これは欲しいと言ってもなかなか手に入るものではないだろうな、と思うのです。
それが出来る人が言う「なんでできないの?」は、恐らく無意味な質問です。単に「辛いから耐えられない」というのが真相だと思うからです。やる気が無いとか、心構えがどうとかではなくて、多分、それ以前の問題です。普段運動をしない人が、いきなりフルマラソンを走れないのと同じようなものなんです。
そこで必要になるのは、「訓練と成功体験」なのではないでしょうか。
乗り越えられる程度にレベルを下げてあげるといった工夫をこらし、「乗り越えた経験」を蓄積させる。そうすれば、もしかしたら次第に「乗り越えられる人材」へと育っていくかもしれません。ポイントは、辛いときを乗り越えるための「成功体験」をどれだけ持っているか、だと考えています。

高速道路のその先(けもの道?)

しかし、Web進化論でいうところの所謂「高速道路」の先を進むというのは、こういうことなのでしょうね。誰もが歩めるところではないがゆえに、そこを切り開く人材は重宝される。
また、そういう人達が新たな高速道路を敷いてくれるのでしょう。彼らによって高速道路はドンドン整備され、簡単にできるようになることも増えていきます。
しかしながら、「高速道路のその先」は以前としてあり続けるのだろう、とも思います。この手の世界は有限ではなく、広がれば広がっただけ、新たな「その先」が生み出されていくのかな、と。

経験し、小さな成功を積み重ねること

「けもの道」を進むことができるようになるためには、「けもの道」に入り、そこを進んだという経験を積むしかない。
10cm進んだ経験があれば、次の10cmも進むことができそうです。そうしたら20cm進んだ経験になります。
そうやって経験は蓄積されて、それがある量を超えたときに、ふっと「使える人材」として認識されるようになるように思いました。