これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

共感を生み出す言葉の力

一昨日だったか、それともその前の日だったか忘れたが、NHKでBUMP OF CHICKENの特集をやっていた。
先月までやっていたライブツアー(私も行った)を中心に、彼らの生い立ちを軽く説明するという内容。
まぁ、ライブ中心ということで、それを観にいった観客の人にもクローズアップ。BUMPに対する思いなどを語っていたが、その内容は、ボーカルの藤原さん*1の書く歌詞が「私の辛いこと、大切なこと」を表現してくれているということだった。
また、メンバーの誰だったかは忘れたが、「ああ、これは自分のことじゃないか。そう思えるような歌詞だ。」というようなことを言っていた。


それを聞いた私は思った。
ああ、これが言葉の力か、と。


頭の中だけで考えていること、感じていることは「もやっ」としている。まさに感覚的。対して、言葉にすることは、その「もやっ」としていることを明確にすることでもある。
そして、言葉にすることで初めて、自分の考えに他人が触れることができるようになる。言葉とは、まさにコミュニケーションツールなのである。
他人の言葉に触れたとき、自分の中の「もやっ」としていたものがクリアになったり、「そうそう!それそれ!」と自分の中にストンと収まる考えに出会ったりすることがある。
自分が他人の言葉に共感した瞬間だ。
前述のBUMPのファン達は、藤原さんの言葉に強く共感し、感動したのだろうと思う。ファン達は、なんて他人事っぽく書いているけど、私自身も彼の言葉に強く共感している一人だ。


しかし、共感とは一体何なのだろうか。このとても心地よい感情の正体は、いったい何なのだろうか。

きょうかん 0 【共感】
(名)スル
(1)他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。
「―を覚える」「―がわく」「彼の人生観に―する」
(2)〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。
(3)〔心〕〔empathy〕⇒感情移入

多分、(2)の意味が大きいのではないだろうか。
共感を通じて、人は別の誰かと繋がっているような感覚を得られるのだと思う。誰かと繋がりたいという欲求は、人間の基本的な欲求だ。しかし、人によってはそれを得ることがとても困難で、ある意味飢えているといってもいいかもしれない。
そこに、すっと共感する言葉が入ってくる。そうすると心が震えるほど感動する。
それが、この感情の正体だろうか。


うーん。若干、違うのか。
人と繋がる感覚が得られるというのはあっているが、それは多分「共感する」からではないんだな。
人と繋がったと感じられるには、「共感してもらえる」が必要なのか。


つまり、BUMPの藤原さんの歌詞に感動した人達が得たのは、「共感してもらえた」という疑似体験みたいなものなのではないだろうか。
自分の持つ悩みや不安、苦しみ、喜び、嬉しさ、大切にしたいもの、渇望するものなど。
普段、我々はそういったものをいちいち言葉にしたりしない。頭の中で抱え込んだまま、日常を生きているのだと思う。
そこへ、的確にそれを表現した言葉が現れる。
「ああ、彼は私の○○を理解してくれているんだ!」
そう思ってしまうのではないだろうか。それは、まさに「共感してもらう」を擬似的に体験していることになる。だから、とても嬉しいのだろう。


しかし、こう考えていくと、そういった言葉を生み出し続ける藤原 基央という人物の凄さを改めて感じる。

このままだっていいんだよ
勇気も元気も生きる上では無くて困るものじゃない
あって困ることの方が多い
でもさ
壁だけでいい所にわざわざ扉作ったんだよ


『プレゼント』より (present from youに収録)

*1:藤君と言った方がいいのだろうか