これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

受けて勝ちを狙うという選択肢

ここ2〜3ヶ月、右玉という戦型で将棋を指している。これが結構自分と合うようで、指していてなかなか楽しい。勘違いかもしれないけど、自分の将棋というものも見えてきたように感じる。
多分、私は「受ける将棋」なのだと思う。
以前、居飛車をやっていたときは、調子を崩しているときというのは攻めっけが無くなって受けにまわり、消極的な将棋になることが多かった。なんで、その時は「もっと攻めなきゃ」という意識を持つことを心がけていた。
が、今にして思うと、どうにも違和感があったのかもしれない。
今、右玉で指していて「受け」にまわることが多い。しかし、勝率はそんなに悪くもないし、別に消極的という感じもしない。これがピッタリはまったような感覚なのだ。こう、紙一重で相手の攻めをかわしていくのは、かなりの快感である。


しかし、受ける将棋は難しいな、と感じる。以下は、先日の将棋。

ここから対応を間違え、5五銀としてしまった。その先は、同角→同歩→4七銀と進み苦しい展開。竜を作られた後は入玉を狙ってみたけど、ダメでした。多分、5七銀で後手は攻め手に困ったんじゃなかろうか。
受ける将棋は「攻められている側」なので、一手間違うと致命傷になることが多い。難しい。それだけに、上手くいくと楽しいのだけど。


そして今日の将棋。

私は後手だけど、上と同じく穴熊相手に受ける展開。慎重に受ける手を重ねていき、↓の局面で相手が投了。穴熊相手に受けて勝てると、凄く嬉しい。


今日の感覚は大切にしたい。