これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

もっと、あさましく

昔、自分はかなりの構ってちゃんだったような気がする。誰かに認められたくてたまらなかった。それが色んな形で噴出していて、まぁ、うざかっただろうなぁ、と思う。
今はどうかというと、逆にアピール足りないんじゃないかって感じてしまう。何かを達成しても、なんというか、どこかに「上手くやれてない感」が残っていて、それがブレーキになっているような。その程度アピールするとか、うざいからって思ってしまう。以前の反動ですかねぇ。


しかしだ。
自分にとって価値があると思うようなことをやったとして、それをどっかの誰かが勝手に気付いてくれて、私の欲しい対価(金に限らず)をくれるのであればいいのだが、世の中はそうではない。価値があると思っていても、それを伝えなければ、欲しい対価を得られる機会なんてほとんど無い。
#ああ、似たようなエントリーを最近読んだぞ・・・。まぁ、いいや、続けよう。


私はブログを書いている。
そして、書いたなら、やっぱり多くの人に読んで欲しいと思う。
であれば、書いたことを多くの人に気付いてもらわなければならないだろう、と思う。
読んで読んでって、多少なりともアピールした方がいいのだろう、と思う。


勝間和代本の中で、時間を四つに分類する方法が紹介されていた。

  • 消費: 重要度高&緊急度高
  • 投資: 重要度高&緊急度低
  • 浪費: 重要度低&緊急度高
  • 空費: 重要度低&緊急度低

私にとってブログを書く時間は「投資」の時間だ。投資ということは、回収しなければならない。
ではこの場合の回収とはなんだろう。純粋に思考の整理というだけであれば、読者は必要ない。というかブログである必要がない。
なぜブログなのだろうか。
書き始めた当時は、「何か変えたい。であれば、何か行動を起こさなければ。」という漠然とした思いで始めたような記憶がある。いまなら、もう少し具体的に言えるだろうか。
承認欲求が形を変えたものだろうとは思うが、やっぱり「読んで欲しい」のである。ぶくまされたいのである。購読されたいのである。そして、そういうものが増えることで、少しでも自分をブランド化したいのだろう。多くの人に影響を与えられるようになりたいのだろう。
根っこに集団から一歩抜け出したいという思いがあるのかな。
「成功したい」という単純な言葉で表現してもいいかもしれない。


で、そういう欲求を満たしたいのであれば、あさましくもアピールしなくてはならないのだろう、と思う。多分、ウザイとか言われることもあるだろう。特に自分から。
でも、それって安全なところに引きこもって、夢だけみているようなもんだと思う。何かを手に入れるには、その過程で笑われたり・貶されたりってことがあるわけで。それを怖がって動かなければ、何も変わらないわけで。


だから、ブログのエントリーを書いたなら、なるべく多くの人の目にとまるために、出来ることはやってみようと思うのであった。
じゃぁ、具体的に何をやるんだって言われると、エントリーそのものの質を上げる努力は当然として、それ以外の周辺的なことだと

  • Twitterで書いたことをつぶやく
  • セルクマする

くらいしか思いつかないのだけどw
#しかし、この程度のことですら、こんだけ理由付けしないとできんのかな、自分は。


ともあれ。
ブログに限らず、堂々と健康的にあさましくありたい。
それが宣言したかった。