これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

検索しても出てこない時がチャンス

検索すれば出てくることを知っていても、それはさほど価値は無いのだろうと思う。
いや、価値はあるけども、周りも入手しやすい情報だから相対的に価値が下がってしまう、といった方が正しいか。
一方で、検索してもなかなか出てこないことがある。ほんのちょっとしたことなんだけど、それが分からなくて困るようなことがある。困るのだけど、でもそれは逆にチャンスなのかもしれない。

彼のインプット力がなくなったんじゃなくて、他人との格差が縮んだんですよ、どちらかというと。(ネットの普及によって)彼の圧倒的な情報収集力の優位性が薄れている。

今の一般人がもっている情報収集力って本当に凄い。凄すぎて、もし10年前に戻ってしまったら、何も出来なくなっているんじゃないかという危惧すら感じる。


今は全く知識のない分野でも、小一時間ほど検索すれば、知ったかぶりが出来る程度には情報を入手できる。でも、一方でそうやって得た知識と、専門分野で深く取り組んでいる人の知識の差は何だろう、と疑問に思う。
そこに差がないとは思えない。
通り一遍の知識を得ただけの人が書いた情報と、豊富な経験を持った人が書いた情報では、質の違いが明らかであるように感じる。
そう、恐らく経験しているかどうかが重要なのだ。


では、経験しているとはどういうことなのだろう。
それは多分、「答え以外のことも知っている」ということなんじゃないだろうか。
ネット上で主に検索する情報は、いま疑問に思っていることの「答え」が多いと思う。「答え」だから、直ぐに利用できる。それを元に、ある程度正しく行動することもできる。
しかし、その「答え」を苦労して探し出した人は、様々な試行錯誤を繰り返しながら辿りついたはずだ。そして、実はそこに「答え」以上の重要な情報がある。


1つは、「こうしたらダメだ」という失敗に関する情報である。
答えを少し応用しようとしたときに「こっちに進んではダメだ」ということが分かるのである。これは試行錯誤して、実際に失敗した経験を持つ人の貴重な財産だと思う。しかも、こういった情報は共有し辛い*1と思うので、その価値が余計に際立つんじゃないだろうか。


もう1つは、試行錯誤した経験そのものである。
これについては、以前、

「けもの道」を進むことができるようになるためには、「けもの道」に入り、そこを進んだという経験を積むしかない。
10cm進んだ経験があれば、次の10cmも進むことができそうです。そうしたら20cm進んだ経験になります。
そうやって経験は蓄積されて、それがある量を超えたときに、ふっと「使える人材」として認識されるようになるように思いました。

と書きました。
経験を積み重ねることが、検索しても出てこないようなことに対処する力をつけることに繋がる。力がつけば、より行動に移すことができるようになるので、更に経験を積み重ねることになる。


今は検索したら色んなことが分かってしまう世の中だ。
しかし、だからこそ、検索しても分からないことに出会ったとき、それを困難と捉えるよりもチャンスと捉えた方がいいと思う。
「失敗の経験」と「試行錯誤の経験」を得るために。
多分、それが私たちの「競争力」になるのだと思う。

*1:「失敗」を探す人は少ないし、「失敗」を書く人も少ない