これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

人間関係の負のループから抜け出そう

昨日のエントリ「エラーが起きたら低コストで再現する方法を探せ。多分、人間関係も。 - 今日とは違う明日」について、id:gnfさんのぶくまコメントに反応。

id:gnfさん
お互いが問題解消しようという意志があればよいが、バカの壁があったり、自分が正しいと思い込んでいると、会話によって問題を見つけることはできても解決には至らないんだな。

これは確かに。
恥ずかしながら「バカの壁」は読んだことないのですが、人間関係における問題解決をテーマに書いてみたくなったので、トライしてみようと思います。


ダラダラ書いてもあれなので、ポイントを3つに。

  1. 過去と他人は変えられない
  2. 事実と解釈の違い
  3. 誰もが自分は正しいと思いたい

過去と他人は変えられない

過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分だけ。
結構、あちこちでみる言葉だけど、過去が変えられないのは当たり前として、他人は変えられないのだろうか?
人は自分の意思で行動を起こす。他人に何と言われようとも、どう強要されようとも、自分の脳がそう命令しなければ言動が変わることはない。
つまり、「あなたの○○はオカシイでしょ。××にすべき。」などと言ったところで、それを受け入れるかどうかは相手次第。受け入れられることを期待しても、応えてくれるかどうかは自分のコントロールの外にあることなのだ。
これが分からずに、

○○って言ったのに、いつまでも××している。いい加減にしろよな!とイライラ ⇒ 更に責める ⇒ 変わらない ⇒ 更にイライラ ・・・

という何とも悲しい負のループに入り込んでいる例は、自分を含め、結構身の回りにあったりする。


過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分だけ。
まずはこのスタンスに立つことが第一。
相手との問題を解消する必要があるのなら、自分の言動をどう変えればいいかを考えなければならない、ということだ。
また、相手にマズイところがあるように感じるのなら、指摘したりアドバイスするのは当然構わない。ただ、それによって相手が変わるなんて思ってはダメなのだ。変わらなくて当たり前。人は自分の望むスピードでしか変われない。

事実と解釈の違い

事実と解釈は違う。
これについては、以前書いたエントリーを引用。

ある事について、いま自分が感じていることを「事実」だと思ってしまうことがある。が、これは違う。自分が感じていること、思っていることは「事実」に対する「自分の解釈」なのだ。別の人が同じ事実を見れば、別の解釈が出てくるだろう。ちゃんと何が事実で、それを自分がどう解釈しているのかを認識しなければ。で、更に、別の人はその事実に別の解釈をしているということを認識しなければ。

自分の解釈が、さも事実であるかのように錯覚してしまうところから、コミュニケーション不全は生まれるのではなかろうか。


Aさんが仕事でミスをしたとして、あなたがAさんのことを「無能なやつ」だと考えたとしよう。
それは事実なのだろうか?
違う。事実はあくまでAさんが仕事でミスをしたということだけである。無能であるというのは、あなたのその事実に対する「解釈」にしかすぎない。
これをちゃんと意識できないと、解釈をさも事実であるかのように思い込んでしまう。事実だと思い込んでしまえば、「相手が悪い」という結論を導き出すのは、難しいことではないだろう。

誰もが自分を正しいと思いたい

自分の判断を正しいと思いたいのは、誰しも一緒だろう。
そう、「誰しも一緒」なのだ。
いま、あなたが自分のことを正しいと思っているのと同様に、相手も自分のことが正しいと思っているのだ。それぞれが、事実に対してそれぞれ独自の解釈で、自分の正統性を信じているのだ。

3つを合わせる

人間関係における典型的な問題とは、この3つの組み合わせであることが多くはないだろうか。


AさんとBさんの間に問題が起きた。
まず、問題の原因となった事実がある。
それに対し、Aさんは自分なりの解釈で、自分なりの事実を作り出してしまう。
その事実は、Aさん自身の正統性を証明するものだ。あるいは、自分が悪いと思っていても、「こうなったのは、Bが○○したからだ/しないからだ」とBさんに責任を転嫁する。
事実に基づき自分が正しいということは、間違っているのはBさんということになる。
この問題を解消するには、Bさんが間違っているところを直すべきだ。
Bさんに対し「○○がおかしい。××とするべきじゃないのか?」と責める。


一方、Bさんの中では、やはり自分なりの事実に基づき、自分は正しく、Aさんが悪いということになっている。
そんなことも分からずに、こちらを責めてくるAさんのことを、ますます「オカシイやつ」と思い、逆に責め立てる。


Aさんから見ると、Bさんの明らかに間違っている部分を指摘しているのに、それを認めようともせず、おかしなことをいって自分を責めてきているように感じるだろう。あとはそれがループするだけである。

自分は本当に正しいのだろうか?

この悲しい負のループから抜け出すには、どうすればいいだろうか?
ここでも「変えられるのは自分だけ」の原則が出てくる。自分が変わるしかないのだ。


「自分は本当に正しいのだろうか?」と問いかけることが、スタートになる。
もしかしたら自分が間違っているのかもしれない、と僅かながらでも頭に横切れば、その瞬間、怒りの沸点がちょっと下がる。そこに、事実に対して別の解釈をする余地が生まれる。具体的には、「相手にとって、これはどういうことだったのだろうか?」と考えるのだ。
もし、「相手にとっての事実」を想像することができれば、あるいはそれを理解しようとする姿勢を持つことができれば、実はその瞬間にループから抜け出ているのである。
もしかしたら、相手は相変わらずあなたのことを責め立てるかもしれない。でも、あなたがループを抜けることができていれば、根気良く

  1. 相手にとっての事実は、どうだったのかを理解する
    • 相手にとって何が辛いことだったのだろうか
    • 相手にとって何がないがしろにされていたのだろうか
    • 相手の望みは何だったのだろうか
  2. 自分のとっての事実を、冷静(相手を責めないように)に伝える
    • 相手にとっての事実の存在を認めた後、「iメッセージ」で伝えるのが基本
    • 断定口調で「あなたが〜だ」ではなく、「私は〜だと思った/だと感じた」と表現する
  3. 私たちはどうすればいいのか、一緒に考えようと提案する

といったプロセスを踏んでいくことが可能になるのである。

Win-Win or No-Deal

最後に、それでも全く解決の糸口が見つからない場合、あなたは相手との関係を断つという選択もできる。
悲しいことではるけども、ループの中で互いを罵りあいながら関係が壊れてしまうよりは、あなたの心は穏やかでいられるはず。