これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

組織が高い目標へ向かうには、安全と安心と適度なプレッシャーが必要だ

「常識だよな?」「常識ですね。」
そんな会話が会議中に出てきた。何気ない会話だったのだが、場の空気を支配したような気がした。まぁ、発言者が影響力ある人だったというのもあるけど。
しかし、常識という言葉は強い。その場がその常識に支配された空気になると、それに逆らうのはなかなか難しいものだ。強い言葉は人の行動を萎縮させる。
そんなことを考えながら、以下のようなことを思った。


マズローの欲求階層というものがある。
生命の安全が満たされると、どこかに所属する欲求が出てくるし、それが満たされると自己実現の欲求が出てくるとかいうやつ。なんか階層をすっ飛ばした気がするけど、そこは重要ではないので、まぁ、いい。
人は低次の欲求が満たされなければ、高次の欲求に向かうことはできない、ということになる。組織における人の活動も、これに従っている。
例えば、日常的に罵声や激しい怒りにさらされている社員がいたとして、その社員がまず求めるのは、自身の精神の安全だ。如何に怒られることを回避するかが行動目標になってしまう。このような状態では、高い目標を達成するという欲求を持つには、強い意志の力が必要になるだろう。
出来がいまいちだからと部下を激しく叱ってみても、もしかしたらそれは、かえって部下を萎縮させ、本来の目標へ向かうべき動機を失わせているかもしれない。叱られることを回避することで、頭がいっぱいになっているかもしれない。


さらに良くないのは、全ての物事は循環する傾向にあるということだ。激しい怒りを受けた部下は、それに恐怖をもつ。恐怖は新たな怒りを生み、それがその更に部下へと向かう。何も考えないと、そういったことは容易に起こるのだ。
これが組織が目の前のことに反応的になり、中長期的な取り組みができなくなる一因ではないだろうか。


しかし、全ての物事は循環する。であれば、安心と安全も循環するのだろう。そこの組織に属して働くことに、精神的な危険を感じることがないようにすることで、人は一個上の階層の欲求を持つ準備ができるのではないだろうか。
ただ、そこに適度なプレッシャーを生む仕組みがなければ、先へ進む力が弱くなってしまうのが難しいところだけど。


会議中、眠い目をこすりながら考えたことでした。