これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

正しい考えを持つということ(人生の方程式)

人生でどのような成果を出せるかは、次の方程式で分かる。

  • 能力×情熱×考え方

稲盛和夫さんの著書『生き方—人間として一番大切なこと』に出てくる式だ。それぞれ、次のような値をとる。

  • 能力:0〜100
  • 情熱:0〜100
  • 考え方:-100〜100

これで分かるのは、どんなに能力があっても、どんなに情熱があっても、考え方次第で全く成果が出ないということだ。寧ろ、手痛いしっぺ返しを貰うことすらある。(能力が100、情熱が100でも、考え方が-100なら結果は-1000000だ)


マイナスの考え方を持つとは、一体、どういうことなのだろうか。
私は、こう考える。

  • 他人の不利益を前提に、あるいはそれに関わる人の利を全く考慮せずに、自身の利を求めること

では、そんな考えを持つと、なぜ結果が出ないのか。多分、それは簡単で、

  • 周りから協力してもらえない

からだ。以前書いたことがあるが、自分の利することに他人が協力する理由なんてないのだ。それが金銭的なものであろうと、心情的なものであろうと、人が誰かに協力したくなるのには、それ相応の理由があるんじゃないだろうか。


これから、多様化社会を向かえるという。多様化した社会では、それぞれが自分を周囲と差別化するために、自分を活かすことができる場所を見つけ(あるいは創り)、そこで一定の成果を上げていくことになるのだろう。しかし、そんな社会の中で大きな成果を出すためには、多分、一人でやろうとしてもダメで、様々な個性が相互に関わり合うことで、相乗効果を生み出していかなくてはならいような気がする。
つまり、何かを成し遂げたいと思ったときに、どれだけの人が協力してくれるのか。それが成果の大きさに、そのまま直結してきそうな気がするのだ。


今はまだ、会社という枠組みの中で仕事をすることができ、給料を貰って生きていくことができる。階層的な組織構造では、与えられる情報は限定され、その代わりに上司の役に立つように作業すれば、上手く成果が出るようになっている。しかし、この形はいつまで続くのだろうか。
既に情報の流通には、「組織」という仲介役を必要としなくなった。これは、色んなことを知り、決断し、伝える力を私たちが持ったことを意味する。パワーバランスが徐々に個人へと傾きつつあるように思う。
多様化した社会では、会社と個人の関係は、もっと緩くなっていくんじゃないだろうか。会社とは、統率された組織として存在するのではなく、個人が相互作用するための場となる。複数の会社に所属することが当たり前となる。そこで成果を上げていくためには、1つ1つの仕事において、丁寧に、そこに関わる人達のwinを考えて行動することがポイントになる。なぜなら、「またこの人と仕事がしたい」と思ってもらえることが、他人の協力を得ることに繋がるからだ。


うん。ずいぶんと妄想の入った想像であることは分かっている。でも、いま、何か世界が動きつつあるように感じてならないのだ。市場で起きている混乱は、もしかしたら、20世紀型の社会が終焉しようとしている証の1つなのかもしれない。
まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり。
そんな価値観へと世の中がシフトしようとしているのではないだろうか。そうであるといいな、と思う。