これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

脳は否定形を理解できない!?

とあるオーディオブックを聴いていたら、面白い体験ができた。脳内でだけど。
標題の通り、「脳は否定形を理解できない」というもの。イメージできない、といった方がいいのだろうか。
これは、

  • ○○○しないでください

とか

  • ×××ではありません

という言葉を聞いた時、脳がどう反応するかというと、否定されているはずの○○○または×××が強くイメージされてしまうということ。
オーディオブックで出てきた例を、あげてみる。次の文を読んでみて欲しい。

  • ピンクのくじらを、想像しないでください
  • 首の短いキリンを、想像しないでください

頭に浮かんだイメージは、それぞれ「ピンクのくじら」と「首の短いキリン」だったかと思う。想像しないでくださいといわれても、脳が勝手に反応してしまうのだ。
これは実に面白い反応だと思った。


さて。
このことを使って、日常的なことを考えてみたい。
仕事でも家庭でも、嫌なことがあると「○○とかいい加減にしろよな!」とか「××しちゃダメでしょ!」なんてのは、よく言ったり聞いたりする言葉だ。それぞれ、○○なり××なりを無くしたくて出てくる言葉なのだけど、強く脳に刻まれるのは○○とか××という部分なのだろうなぁ。
んで、無くしたいものっていうのは、大抵はネガティブなイメージが付きまとうものだ。それが脳に残るっていうのは、ネガティブなセルフイメージが形成されていくような気がする。
ネガティブなことをポジティブな表現に言い換えましょう、っていうのは時々見かける。何故、それがいいのかってのが、ちょっと分かった気がする。

×いいかげんな仕事をしてるんじゃねぇよ!素人じゃないんだから。 → いいかげんな仕事をする素人な俺
○次からプロとしてしっかり仕事しようぜ! → しっかり仕事するプロフェッショナルな俺

ってことだな〜。


しかし、こういうことは常に意識してやらないと身につかないんだよなぁ。どこかで

悲観は自然的で、楽観は意思的である

みたいな言葉をみかけたけど、これはその通りだと思う。人間は基本的に悲観的なんだろうなぁ。文明が未発達な場合は、リスク回避の観点から、その方がいいのだろうけど、身の安全がある程度保証されている社会において、高次の欲求を満たすためには、相応しくないのだろう。
自然にプラスの言葉が出てくるようになるまで、繰り返し訓練ですねぇ。


ちなみに、ついネガティブな言葉を発してしまった場合は、プラスの言葉で言い直せばイメージの上書きができるらしいです。

首の短いキリンを想像しないでください。首の長いキリンを想像しましょう。