これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

貢献と情熱と

行動を成果へと結びつけるには、その行動目標に貢献をおくと達成しやすい。何故かといえば、何度か書いているが、貢献というのはそれを受け取る側にとっては利益であるので、利益をもたらそうと頑張っている人に対して、スムーズに協力する気になれるからだ。
だから、そこに関わる人達のwinを見つけだし、その実現に向かうことができれば、それだけで成功する確率が高くなると思う。
しかし、こういう思考に入った人が陥る罠がある。それは自分のwinを考えないことだ。やればやるほど、自分は辛くなっていく。次第に消耗し、段々と行動に陰りがみえてきて成果が出なくなる。また、困難に当たった場合、それを乗り越えることができない。
好きなことをやった方がいい、というのは、これを避けるためなのだと思った。情熱を注げること。それが、「自分自身からの協力」を取り付けるための必要条件なのだ。


情熱を注げないことに従事し、成果を出すことを義務づけられると悲惨である。
まず、成果が出ないことに対して、どう反応することになるか。多くの場合は責任転嫁による自己正当化である。それも自覚なしの。頑張っているけど成果がでないという矛盾した状況に対して、なんとか自分なりに整合性をもった理由付けをした結果、知らないうちにそうなってしまう。
自己正当化の怖さを知っている人、あるいはそもそも自分を責める傾向にある人は、それが他人のせいではないことに気づくかもしれない。そうすると、成果が出ないことを自分のせいにする。貢献しなければいけないのに、それができない。自分に失望し、責め続ける。


貢献を目指しているのに上手くできない。やる気が失われていく。そんな時はもしかしたら、自分のとってのwinが欠けているのかもしれない。
情熱を注げることに取り組めるというのは、それだけで幸せなことだ。それをやること自体が、かけがえのない報酬なのだ。だから、辛くても前に進める。諦めないで頑張れる。妥協せずにうおり素晴らしい結果を目指せる。
自分がそんな状態であってこそ、人の幸せに貢献することができるんじゃないだろうか。そう、思った。