これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

目標ってワクワクするもの

目標管理制度なる人事評価の仕組みがあるけども、まぁ、うまくいっていない。少なくとも、私の目の届く範囲内では。それで最近、「目標管理」という人事評価の仕組みそのものがそもそもダメなんじゃない?、なんて思ったりして。
目標管理による人事評価って、目標を達成することが会社への貢献に繋がり、社員はそれに応じた報酬を得られる・・・ってことだけど、多分、これ、動機付けが間違ってる。目標って、それが仕事上のものであろうと、プライベートなものであろうと、それに取り組む人にとって価値あるものでなければならない。んだから、目標が達成された状態そのものが動機の源になってなければ、本当に目標を達成しようとは思えないではなかろうか、と。
なんだけど、そういった目標を持つのは難しいし、さらには会社にとっての利と一致していないと困るわけで。だから目標をトップダウンで決めて会社の方向性と一致させる。がしかし、それだと目標に対する動機付けができないので、報酬と紐付けてしまう、と。
これで上手くいけば、みんな幸せなんだけどねぇ。


目標って、それを達成すること自体がワクワクするもんだと思う。明確な目標を描けたときって、モチベーションも上がる。でもそれは、真剣に自分のやりたいことを考えたからこそ、出てくるものであって、組織の枠組みに基づいて決めてもダメだと思うのだ。
だからこそ、組織には理念だのミッションだのビジョンだのが必要なんだろう。組織の目指すものがハッキリと示されていて、それに賛同できるのであれば、自分の目標と一致する部分も見出せるはず。


私の所属する会社でも、目標管理制度を取り入れているが、あまり上手くいっていない。最近になって何とかしようという動きが見えてきてはいるけども、どうしても報酬の方に目がいきがちだ。そりゃ、もらえるお金は多い方が嬉しいんだけど。
でも、多分、報酬じゃないんだろうなぁ、と思う。社内では賛同を得られないと思うけど。
だってさ。報酬から貰う嬉しさって、相対的なものなんだよね。例えば、去年のボーナスが20万で、今年は40万になった、というのは嬉しいだろうと思う。でも、去年も40万、今年も40万だと嬉しさは減るんじゃないだろうか。更に、去年が60万で今年が40万なんてことになると、寧ろがっかりするんだよね、たぶん。
なるべく公正に評価し、妥当な報酬を配るという取り組みは必要だろうけど、まぁ、あんまり目標とかとは関係ないんだろうな。


あと、報酬というのは、営業職のような活動が売上に直結するような職でない限り、自分の活動に対する間接的な評価なんだよね。
自分の活動が何らかの成果を生み出して、それを周囲が評価して、間に大人の事情が挟まって、お金として数値化されて手元にやってくる。そうすると、活動への力の入れ方と報酬が、必ずしも比例するとは限らないわけで。頑張ったけど、あんまり貰えなかったな・・・ってことが起こるわけです。


もっと、自分の活動が直接的に影響を与える部分を目標にした方がいい。
「活動する→結果が出る」となることって重要で、活動したけど何も変わったところが見えないのって、かなり辛い。学習性無力感というやつを感じる。これは恐ろしく人のモチベーションを下げる。頑張ったけど報酬が増えなかったというのは、これと同じ。しかも、結構そういうことはある。
だから報酬を見ててはダメなのだと言いたい。自分の活動が直接的に生み出す価値に目を向けたい。自分が活動したら、ここがこれだけ変わった!ってのが意識できると、やっぱり嬉しい。
自分の活動によって、今と何が変わると楽しいのか?幸せを感じるのか?ワクワクするのか?
それを考えて、目標を設定するといいんじゃなかろうか。その方が成果も出るし、それを積み重ねていけば結果として報酬も増えていくように思う。

遠くをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。
まして春まきて秋実る物においてや。
故に富あり。
近くをはかる者は
春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
唯眼前の利に迷うてまかずして取り
植えずして刈り取る事のみ眼につく。
故に貧窮す。

二宮尊徳の言葉らしい。肝に銘じておきたい。