これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

どういうタイミングで叱るべきなのか?

叱ってはいけないタイミングというものがあるように思う。
例えば仕事でミスをしたときに、あるいは要求している水準で仕事をできなかったとき、それを叱るべきか。私は否とこたえる。何故上手くいかなかったのか、どうすれば改善できるのか。それを考えさせたり、必要であればアドバイスをしたり。それがやるべきこと。そのためには萎縮させてしまっては、よろしくないように思う。
また、やる気をもって作業をしていないとき、それは叱るべきか。あるいは、反抗的な態度を示すとき、それは叱るべきか。
いずれも否と答えたい。
叱るよりも先に、しっかりと聞く姿勢をもって「何故」を探り出すことが必要だ。それより前に叱ってしまうのは、どちらかというと自分の感情の発散でしかない。叱るというより、怒ると言った方がいい。
やる気がない、反抗的であるというのは、結構重大な問題をはらんでいるような気がする。そこを探る前に、一方的に感情をぶつけても、恐らく事態の解決にはならない。


では叱るべきタイミングとはいつか。
それは考え方の方向性が間違っている、と判断した時ではないだろうか。人生の結果は、「能力×情熱×考え方」で決まる。能力も情熱も、それを持って取り組めないことが悪いことではない。叱ったところで、当人にコントロールできるようなものでもない。しかし、「考え方」はコントロールできる。この考え方がマイナスに振れているとき、どんどん良くない結果を生み出してしまうことになる。恐らく、正しいフィードバックが必要な時だ。
例えば、仕事でミスをした時に、それを他人のせいにし、自己正当化に走っているようならば、それは叱るべきタイミングだろう。ミスそのものではなく、ミスをした事実への捉え方が間違っている。そのままでは、恐らく改善することはない。


しかしながら、そうであったとしても叱らない方が良い場合もあるのかもしれない。
相手の精神状態によっては、叱ることが何かを決壊させてしまうことがあるかも。他人のせいにすることで、何とか自分を保っていられるような状態だ。どこかでフィードバックが必要なことは間違いないと思うが、タイミングは難しいと感じる。叱ることが当人を追い詰め、更に自己正当化を強めて泥沼に嵌ってしまうかもしれない。
まぁ、そんなときは「休め」と言いたいけども。必要なのはフィードバックではなくて、休息あるいは治療だ。


人は育てるものではなくて、育つものだと聞く。確かにその通りなのだ。結局、その人を成長させるのはその人にしかできない。
外部からできるのは、その人へ適切なタイミングで適切なフィードバックをすることなのだろう。しかし、その適切というのは難しいものだなぁ、と思ったのであった。