これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

性格は経験によって形成される

先天的に生まれ持ったその人の本質(性質?)っぽいものがあって、そこにプラスαで後天的な変化が加わるという話があるけども、最近思うのは、この本質というやつはあまり無いんじゃないかと。あったとしても、その影響は微々たるものではないかと。脳が形質的に通常と大きく違っていれば別だろうけど。

性格(人格)とは何か

本質なるものがあって、プラスで後天的な経験が加わるものとする。その結果はどこに現れるかというと、「性格」なのだと思う。
では、性格とは一体何なのだろうか、と考える。私が思うに、性格とは、

  • 目の前で発生した事象に対して、心と体がどう反応するか

ではないだろうか。言動、表層心理、深層心理などを全部ひっくるめて、事象と反応のパターンの集積。
では、事象に対する反応は、どうやって出てくるものだろうか。これこそ、経験を基にしたものがほとんどだと思われる。過去にあった良い出来事、悪い出来事、学習してきたもの。それらがごちゃごちゃと脳の中で繋がり、結果、何らかの思考、言葉、行動が生まれてくるのだと思う。そこに本質的な性格みたいなものは、あまり影響しないのではないかと思う。
積極的な人、消極的な人、ポジティブな人、ネガティブな人など、色々と性格はあるけども、例えば、いま積極的であることの原因は過去の経験にあるのだと言いたい。両親から、何かやるたびに褒められたりポジティブなフィードバックを得られていた人は、行動することへの恐怖が少ないかもしれない。逆に、何かやるたびに怒られて育った人は、行動することへの恐怖が相対的に大きいかもしれない。あるいは、上手くできたことは得意になるし、失敗したことは苦手になる。そんなことの積み重ねが、今日の自分の性格を作り上げているのだと思う。
だから、その人が生まれ持って積極的であるとか、消極的であるとか、善人であるとか、悪人であるとか、そういうのはあまり無いのではなかろうか。

人は変われる

後天的な経験によって性格が形成されていくならば、人は変わっていくことも可能であるはずだ。
経験によって、どの程度変わるかは、それまでに蓄積された経験の量・質に対して、新たに得られた経験の量・質が相対的にどの程度のインパクトをもっているのかによると思う。
ある出来事を境に、劇的に性格が変わったように見える人に会ったことはないだろうか。これは、その出来事による経験が、それまで得た経験と比較してあまりにも大きかったのだろう。あるいは、しばらく会わないうちにに、随分と性格が変わったように見える人はいないだろうか。これは、会わない間に経験を積み重ねた結果、ちょっとずつ変化していったのではないだろうか。
性格の形成においては、経験とそこからの学習の影響こそが大きいように思う。

人は変われない

人は変われない、という話も聞く。でも、多分、正確に言うと「変わるのが大変」ということだろう。
変われない理由は、それがその人の本質だからなのではなく、単なる学習効率の問題だと思う。成人してから性格を変えようとしても、それまでの経験の方が新たな経験よりも遥かに大きいので、変化したように感じられないのではなかろうか。性格の形成は、目先の経験だけで成されるわけではなく、過去から現在までの積み重ねによって成されるのだ。だから、過去の影響がゼロになることは無い。その辺に、変わることの難しさがあるんじゃなかろうか。
しかし、変化というのは確実に起きる。それに得られる経験の量と質は、単に時間をかければいいというものではなく、密度みたいなものもあると思うので、10年かけて作り上げた性格を変えるのに、同じように10年かかるというわけじゃないだろう。
性格を変えようと思って、新たな経験と学習を積み重ねていけば、少しずつではあるかもしれないけど、人は変化し続けるのだと思う。そういう変化に、元々の性格がこうだからこの辺が限界だろう、みたいなのは無いのだと言いたい。


まぁ、科学的な根拠をもって書いているわけじゃなくて、私自信の実感として感じていることなのだけど。遺伝というものもあるので、先天性が全く無いとは言わないけど、後天的に置かれた環境からの経験・学習に比べれば、問題になるようなものではないように感じる。それだけ、脳の成長する能力というのは、凄いんじゃないだろうか。