これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

嫌なことを書き出してこそ、頭を切り換えられる

ああ、そうか、と気付かせてもらった。

4-hours writingをしていると仕事のことも勝手に頭に現れる。それを無理に否定することはなくて、アイデアやタスクなどはメモしておけばいい。

最近、休日はやりたいことがある。それをやっている間は、実に楽しい。大変でもあるし、エネルギーも使うんだけど、やっぱり楽しい。だから、休日は普段と切り替えて、それに集中したい。でも、ふと仕事の事を思い出すことがある。でもって、思い出すネタは大抵、憂鬱な内容なわけで。
これまでは「良くないな〜。休日の事に集中しなきゃ。」と思って頭を切り換えようとしていた。まぁ、それで実際、ある程度は上手くいっているのだけど。でも、そんな憂鬱な気持ちは、どっか残り続けている感じはしてた。


分かっていたはずなのだけど、忘れていたのかもしれない。負の感情は、頭の中だけで捉えているとむくむくと育ってしまう。実際の悩みのサイズよりも大きく感じてしまう。以前、こんな風に書いていた。

タスクだけではなくて不安に感じていること、イライラしていること等も書き出すと効果的。この手の感情は、頭の中だけで抱えていると、必要以上に深刻に感じてしまい、とても大きな悩みを抱えているかのような感覚になってしまいます。書き出して見ると、「あれ?こんだけだっけ?」と悩みの正しいサイズを認識できるはず。


休日は休日として、普段と切り替えて過ごそうとすること自体は、多分間違っていない。そうでなければ、「いま」に集中することはできないし、気分もリフレッシュできない。
だけど、切り替え方が間違っていた。頭の中だけでやるべきではなかったのだ。憂鬱な気持ちはいつの間にか育ってしまう。それが表に出てくるのは、休日が終わろうとしている時だろうけど。


憂鬱な物事には、それが憂鬱であるからこそ、適正サイズを保ったまま取り組みたい。そのためには、何を憂鬱に感じているのかを、書き出しておいた方がいい。書き出すことによって、正しく認識することができる。そこへ至ってこそ、頭から放すこともまた、可能になるのだ。書き出すという儀式を通して、頭の切り替えができるのだ。そして、実際に取り組む時に、書き出した紙に再び目を向ければいいのだ。
分かっていたようで、分かっていなかったことに気がついた。きっかけを貰えたことに感謝。