これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

”損をしないように”から、”利を得るように”へ

そういえば、NHKの正月番組で勝間和代さんが出演していた。そこで、「限定合理性」なる言葉が出てきて気になった。たしか、

与えられた自分の認識できる範囲内において、損をしないように行動する

といった感じのことだった。
人が何かの選択をして行動した場合、結果として損をしていたら、それを見た周りの人は「なんてバカなことしてるのだろう」と思うことだろう。また、ある人が、その人なりに感じるリスクを考えた上で、損をしないような選択をしていたら、「まぁ、妥当な選択だよな」と思うことだろう。これは、その判断をする人の認識の範囲内において、前者は非合理的であり、後者は合理的だと考えているのだ。

バカに見える選択は・・・本当にバカか、実はとても賢いか

私たちは皆、自分が賢い選択をしていると思っている。誰も、わざとバカな選択をしようなんて思わないだろう。でも、私たちは他人の判断や選択を見て、何でそんなことをするんだろう、と疑問を持つことがある。自分なら、もっと違うよい選択ができるのに、などと考えることもある。
それでは、他人の選択をみて非合理的・・・もっとわかりやすく言うと「バカな選択」だと感じたとして、それは本当にバカな選択なのだろうか。
合理性というのは面白いもので、適用範囲を狭めたり広げたりすることで合理的であったり、非合理的であったりするのだ。だから、あらゆる選択や判断を評価する場合、暗黙的であろうと明示的であろうと、適用範囲が前提として存在するのである。
例えば、今の経済状況下で株を買うかどうか考えたときに、

  1. 今、すっげー安いからすぐ上がるだろう。上がったところで売って利益ゲット! → 買う
  2. 今は確かに安いけど、先行きが不透明だから更に下がるかもしれない。いま買うのは危険だ。 → 買わない
  3. 今の株価は安い。確かに、更に下がる可能性はあるが、長期的にみれば確実に上がるな。 → 買う

と判断した3人がいたとする。そして、その後、株価は一旦、下がったとする。この時、2番目の人からみた他の二人は、「バカな判断」をしたように見えるだろう。それは、あくまでも目先の行動しか評価していないからだ。その判断に至った背景、そこから想像される先の行動を推測すれば、3番目の人を単純に「バカ」とみなすことはできないだろう。実際、株で大きな財産を築いている人は、こういった行動を取っていることが多いのではないだろうか。いや、知らんけど(ぇ

自分の持つ限定合理性を如何に越えていくか

そう考えていくと、まぁ、完全に正解な選択というのはないのだろうけど、少しでもそこに近づくために、自分の持つ限定合理性を超えていくことを考えなければならないだろう。具体的に、どうすればいいのだろうか。
一つは恐らく、誰もがやっていることで、緩やかに経験を積み重ねながら、自分の知見を広げていくことだ。これはこれで必要なことではあるし、当然やっていくべきことだが、もっと工夫の余地はあるだろう。
次に考えられるのは、

  • それは違うと思っても、まずはやってみる

ことだ。やってみるというのは、その行動を自分の想像の中だけでなく、実際に社会に評価してもらうということだろう。想像するよりも、遥かに正確な評価がもらえる。損をするかもと思いながら行動するのは、すごく怖い。しかし、そこが限定合理性の壁なのだと思う。当然、失敗するかもしれないが、そこで得られたフィードバックを正しく評価できれば、自分の認識範囲が広がっていくことは間違いない。
まずはやってみる方式で難しいのは、止め時だ。行動は結果をもたらすものではあるが、中には長く継続しないと結果がでないものがある。また、やり方がまずいために、やってもやっても良い結果がでないものもあるだろう。どうすればいいのか、とても難しい。
そこで私としては、先行者をモデリングして、自分の認識範囲を広げることをお勧めしたい。というか、やろうとしている。具体的には、先日

に書いたのでそちらを参照してもらいたい。まずい行動を取り続ける可能性を、下げることができるのではないだろうか。

損をしないように、は現状に留まることを望む行動

損をしないような選択をする、ということは、いま自分がもつ限定合理性の範囲内で生きていくということだ。それは恐らく、いま以上に何かを得るということには繋がらない。現状で満足しているならそれでもいいが、金銭面でも精神面でも、何かいま以上に得たいものがあるのであれば、限定合理性を超えていかなければならないだろう。
これはつまり、どちらにフォーカスするかということなのだ。

  • 損をしないようにする

のか、それとも

  • 利を得ようとする

のか。どちらが自分にとって大切なのか、ということだ。