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これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

自己責任論

派遣切り・ロスジェネを見捨てるツケ(上)(gooニュース) - goo ニュース
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この2つの記事を読みながら、自己責任論の扱いの難しさを感じた。


自己責任という考え方が必要だとは思う。自己責任を認識することがスタートである、という考えを示したものは、結構たくさんある。例えば、

など。これらは、いずれも「今、そこにある結果」の原因は「自分の行動」にあるとしている。故に、行動を変えることで結果も変わる。そこが厳しさであり、逆に希望でもあるのだ。


しかしながら、この考え方に向き合うべきタイミングというのは、非常に難しいのではないか。極端な例だが、虐待を受けている子供、あるいは、うつ病に苦しんでいる人などに向かって、

  • あなたがいまそうなっているのは、あなたの行動に原因があるのだよ

などとアドバイスするのが適切だとは思えない。自己責任論というのは、それが不適切な状況においては、「とても不適切」に機能してしまうように思う。ある意味、トドメになりかねないものだ。だから、とても扱いが難しい。


また、構造的に問題を抱えているケースにもかかわらず、その原因を個人に求めようとする際、最もらしい理由に使われたりする。この場合、批判の矛先がずれてしまうので、問題の解決にならない。これもよくないだろう。


自己責任論は、あくまでも一人一人が自らの意志で、自らの人生を変えようとするときにこそ力を発揮すべきだ。また、外部から自己責任論でアドバイスするのなら、個々の事情を勘案した上で行うべきだ。
何かを切り捨てるための理由に使われるとき、それは強者から弱者への暴力なのではなかろうか。