これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

グランドキャニオンを渡ることができるか

今回も達成の科学ネタ。
セミナーの中で、フォーカスと感情が行動にどう影響を与えるかを示す、わかりやすい例が出てきたので紹介してみたい。


問その1。

約5mほどの長さの板がある。幅は人ひとりが渡れる程度。
地面の上にこの板が置かれている。この板の端から端まで歩くことはできるか?

もちろん、問題なく達成できるだろう。


問その2。

同様の板が、崖のこちら側から向こう側へ渡れるようにかけられている。崖の高さは地面から2000m。
この板を渡って、向こう側に行くことはできるだろうか?

もしかしたら、スリル大好きな人が稀に渡れると答えるかも知れないが、まぁ、多くの人にとっては無理ではなかろうか。


問その3。

同様に2000mの崖に板が渡してある。
渡りきったら1億円くれるとしたら、渡るだろうか?

もしかしたら、問その2よりも渡ると答える人が多いかもしれないが、やっぱり多くの人は無理だと答えるのではなかろうか。


問その4。

同様に2000mの崖に板が渡してある。
向こう側にはあなたにとって、とても大切な人がいる。
ところが、その大切な人が急な心臓発作で倒れてしまった。こちら側には医者がおり、30秒以内にこの薬を飲ませれば助かると言う。
薬を持って、向こう側へと渡るだろうか?

あるいは次のような問いでもいい。

崖のこちら側が火事になっており、助かるには板を渡って向こう側に行くしかない。
渡るだろうか?

こういった切羽詰った理由があると、渡れると答える人が多くなる。


いずれもとるべき行動は、そんなに変わらない。でも、行動に移せる場合とそうでない場合がある。
これは何故だろうか。


私が思うに、

  • 何にフォーカスしているのか

の違いが、生み出す感情を変えているのではないだろうか。
崖へと転落していく恐怖にフォーカスしていれば、足は竦む。
でも、大切な人を助ける、あるいは自分の命の危険を回避することにフォーカスすると、別の感情が生まれ、即、行動を起こすだろう。


こういった極端な例でなくても、日常的に同様のことが起きているように思う。
人が行動できないとき、行動したことによって起こる良くないこと、にフォーカスしている。そうすると、恐怖で足が竦む。行動できなくなる。
しかし、行動「しない」ことによって起こる良くないことは何か?と問いかければ、今度はそちらにフォーカスが移る。
そうすることで、行動しなければならない切羽詰った理由ができる。行動する可能性は、ぐんと高まる。


ほんのちょっとした違い。
それが結果を大きく変えるのだなぁ。