これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

私は引きこもっている

私は引きこもっている。
物理的にではなく、精神的に。


精神的な引きこもりとは、パターンだ。
私が持っているパターン。
ある状況になると怖気づいて、引き返したくなる。
なぜなら、引き返すその場所は、安全な壁で囲った快適な領域だからだ。
人は変化を怖がり、安全・安心を求める。


しかし、なぜ壁にぶつかるのか。なぜ、壁にぶつかる状況が、そこに現れるのだろうか。
それは、壁の向こうにあるものが欲しいからだ。


私はこのブログで何度も何度も目標を持つことについて語っている。
当然、私自身も目標を持っている。
もしかしたら、これを読んでいるあなたも、何かの目標を持っているかもしれない。
いや、明確な目標でなくても、願望や欲求といった漠然としたものかもしれない。
いずれにせよ、これらには一つの重要な共通点がある。
必ず、ある。


一体何か。


私の、あなたの欲しいものは、安全な壁の内側には絶対にない、ということだ。


欲しいものがあるから、そこに向かおうとする。
しかし、欲しいものは壁の外側の怖い領域にあるのだ。
だから、壁にぶつかる。
そして、引き返す。
私たちは、何度も何度も、こういうパターンを繰り返してしまう。


ここでもう1つ、パターンについて、知っておくべき重要なことがある。
それは、引き返すことを、私たちは正当化する、ということだ。


夫のせいにしたり、妻のせいにしたり。
上司のせいにしたり、部下のせいにしたり、お客様のせいにしたり。
あるいは、自分に無理だと過小評価する。
本当は、ただ安全なところに戻りたいだけなのに。


壁を一度に大きく乗り越えることは、難しい。
だから、壁の向こうに欲しいものを明確にイメージする。
だから、壁の向こうにあるそれを手に入れたい、と強く強く願う。
だから、少しずつ、少しずつ踏み出して行く。


壁の中の安全な領域は、外に踏み出す度に大きくなっていく。
安全な領域に入れられるものが増えていく。
私たちの現状は、私たちの精神的な安全領域をそのまま反映したものだ。