これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

相手を理解するためにやってはならないこと

人の根源的な欲求として、「理解されたい」というものがある。
故に良好なコミュニケーションの背後には、「理解」という繋がりがある。
私たちはお互いを理解することで、より深い関係になれるのだ。


では、理解するとは一体どういうことだろうか。
以前、「きく」という行為には

  • 聞く
  • 聴く
  • 訊く

の3段階があると書いたことがある。(聞く、聴く、訊く - 今日とは違う明日


まず、理解するための大前提は、傾聴といわれるように「聴く」ことだ。
相手の話を聞きながら、その意図を真剣に解釈しようとすること。
「聴く」が無ければ、相手を理解することなど不可能だろう。
聴くことができて、初めて理解のための土台ができあがる。


次に、相手に「訊く」ことで、つまり質問をすることで、更に理解を深めるフェーズに入る。
ところが、ここで注意しておきたいことがある。


私たちは、相手に訊こうとするとき、

  • 私たち自身が知りたいことを聞き出そうとする

のだ。
一見、私たちが分からないことについて相手から聞き出すことは、相手を理解することに繋がりそうだ。
しかし、これは大きな間違いである。


私たちが知りたいことを、分からないことを訊くのは、あくまでも「私たち自身のため」の行為なのだ。
相手は理解されたいのである。
つまり、相手にとって

  • 「理解して欲しいところ」について訊く

ことが、相手に

  • 理解しようとしてくれている

という実感を持ってもらうことに繋がる。


理解するとは、相手の理解して欲しいところを理解するということだ。
自分の知りたいことだけをを知ろうとするのは、理解には繋がらない。