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これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

利益を目的とすることの歪さ

先日、利益こそが企業の唯一の目的足り得るものだ、という話を聞いた。
お客様に貢献するだとか、企業理念などは、利益を取るための手段なのだという。
私はこれまで、利益や売上は、企業活動の「結果」であると考えてきた。
しかし、確かに利益がなくては、企業は存続できない。それを獲得し続けることこそ目的だといわれると、ううむ、と俄かには反論できなくなる。


それで、分かりやすくするために、そうすることが適切かどうかは分からないのだが、企業を個人に置き換えて考えてみる。
個人にとって、企業の利益に相当するものが何かというと、衣食住の確保に当たるのかな、と。これが無くては、人は生きてゆけない。
では、衣食住の確保が個人が生きていく上での目的足り得るか、という話になる。
私個人の話をすれば、衣食住は満たすべき必要条件ではあるけど、目的ではない。
しかし、例えば食糧難で飢餓に喘ぐような環境においては、衣食住の確保はまさに目的であろうと思う。というか、私がその立場になれば、それ以外考えられない。


ここで、そうか、と思い至った。
つまり、ステージがあるのだ。
マズローの欲求階層と同じことが企業にも言えるのではなかろうか。


つまり、利益の確保に苦しんでいる企業、例えば創業したてだとか、業績悪化で資金繰りに苦しんでいるだとかは、利益を目的にせざるを得ないのだ。
いままさに飢えよう(倒産しよう)としているのに、なんで企業理念だの社会貢献だのを考えられようか。


しかし。
個人が飢えようとしているなら、食べ物をくれ!と訴えれば、誰か他の人が手を差し伸べてくれるかもしれない。
では、企業が倒産しようとしているときに、金をくれ!と訴えても、誰か手を差し伸べるのだろうか。
大きな企業で倒産影響があまりにも大きければ、国が支援することはあるかもしれないが、それは極一部だろう。
企業が利益を得るためには、商品やサービスをお客様に渡し、それ相応の対価を頂くしかない。それ以外にはない。
そこで必要になるのが、お客様にどう貢献していくのか、ということである。
本当に欲しいのは利益なのだが、それをストレートに求めてもくれないので、お客様への貢献という形に置き換える。
冒頭に書いた話は、そういうことなのではなかろうか。


と、まぁ、そんな風に理解したところで、

  • 利益が目的である
  • 利益は企業活動の結果である

の差を明確にしてみたい。
目的だとか目標だとかの概念の構造は次のようになっている。

  • 願望・欲求 → 目的 → 目標 → 戦略 → 仕組 → 行動 → 行動時間 → 行動期間


それで、まず利益を目的とする場合だけど、例えばこんな感じだろうか。

願望 生き残りたい
目的 利益を○○確保する
目標 なし(多分、目的と同じ)
戦略 お客様に☆☆で貢献するために△△する


一方で利益を結果とする場合は、こうなる。

願望 □□したい
目的 お客様に☆☆で貢献する
目標 利益を○○確保する(目的を数値で具体化)
戦略 ××地域でNo.1になるために△△する

結果というのは、事前に考える場合は欲しい結果のことになるので、数値で具体化された目標と捉えるのがいいと思う。


もしかしたら結論ありきで考えてしまったかもしれないけど、利益を目的とするのは物事の順番的におかしいと思うのだよね。歪な構造になってしまう。
利益がゴール設定の中に入ってくるのは何の問題もないのだけど、利益に対する理由付けとして何があるかによって、それ以降の戦略や仕組、行動の中身が決まってくる。
しかし、利益の理由付けが「生き残るため」であるとするならば、戦略以下の内容は状況に応じてとんでもなくぶれてしまうのではなかろうか。
一貫した行動がとれなくなってしまう。


今のところの私なりの結論は、こんな感じだ。