読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

「行動を変える方法」を見つけるための原則

学び手は常に正しい。


これは行動分析学の基本的なスタンスであり、私にとっても大切な原則です。
人は常に周囲の環境や人々から影響を受けます。
どんな行動であっても、その人の意思のみで決定されることはありません。
人は自分が学んだ通りに、行動するんです。


行動には必ず理由があります。
行動したことによって、その人がどんな変化を得ているのか。
それこそが、行動の理由です。


何かいいことが起きているかもしれません。
それなら、その行動は繰り返されるでしょう。


何か嫌なことが起きているかもしれません。
それなら、その行動は抑制されるでしょう。



あるいは、実際に変化は起きていないのに、行動が維持されたり、抑制されたりします。
その場合は、何らかの思い込みが働いています。

  • ○○したら××になる。

そんな行動と結果の関係を、信じているんですね。
自分の信じていることに沿って行動している、という事自体が、その人にとって良い変化だったりします。


他にも、同じ行動であっても状況によって生起したり、抑制されたりします。
簡単な例だと、お腹が空いていればラーメン屋に入るし、満腹だったら大好きなラーメン屋でも入ることはしないわけです。
あるいは、上司がいるから怒られないように仕事をすることもあれば、上司がいなくて怒られる心配がないから仕事をサボることもあります。


人の行動は、環境や他の人々から様々な影響を受け、決定されます。
学び手は常に正しい。
人は環境や他の人々から、その人にとっての妥当な行動を学び続けています。
その環境において、その人のとる行動は常に正しいのです。
少なくとも、その人にとっては十分な理由があるのです。


行動を変えたいのであれば、行動の理由を変えなければなりません。
環境や他の人々から受ける影響が変われば、行動の持つ意味が変わります。
そうすれば、自然と新しい行動が生起するようになるのです。

学び手は常に正しい。


それを大前提とした上で、行動を変えるにはどうするか。
そのスタンスに立たなければ、答えは見つからないのです。