これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

自分の歴史が喜ぶ生き方をしよう

自分の歴史が喜ぶ生き方をしよう。


ちょっと前に、ふっと頭に降りてきた言葉です。
この言葉には2つの意味があります。


私たちの生きてきたリレキ(自分史)には、私たちが何を好んで、何を嫌うのかの全てがあります。
どんな行動を選択し、どんな生き方をすると、自分の喜びに繋がっているかの答えは、
全て"自分の歴史"の中にあります。
目先の痛みに振り回されるのではなく、自分の歴史を紐解き、心から納得できる生き方をして欲しい。
そんな思いが込められています。


これが1つ目の意味。


もう1つは、これからどんな"自分の歴史"を作るのか、という意味です。
いま、この瞬間から、私たちはどんな行動を選択し、積み重ねていくのでしょうか?
もちろん、自分の喜びに沿った選択であって欲しいと願っています。
私たちは、いつもいつも選択の場面にいます。
そして、多くの場合において次の2つの選択を強いられます。

  • 嫌な体験を回避し、痛みから逃避する選択
  • 痛みのちょっと向こうにある喜びや心地よさを目指す選択


前者は私たちの人生を、無力感や罪悪感で満たしてしまいます。
後者であれば、私たちの人生は喜びや心地よさで満たされ、振り返った時に自分の選択に自信と誇りが感じられます。


幸せでありたいとは、誰もが願うことだと思います。
でも、それは待っていれば誰かが与えてくれるものではありません。
私たちの選択によって、手に入れるものです。

自分の幸せに繋がる選択をする力。
それは誰もが手に入れることのできる力です。
在り方であり、考え方であり、技術です。


と、そんなことを思うのでした。