読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

”自分らしさ”とか”ありのまま”ってのを、求めることを止めてみるといい。

かなり前になりますが、岡田斗司夫さんの「評価経済社会」を読みました。これからの社会の流れを読む上で、一つの参考になる本かなと思います。面白いので興味を持った方は、読んでみてください。

 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている
岡田 斗司夫
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 20,951

この本の中で堺屋太一さんの「知価革命」という本について言及しています。知価革命は読んでいないので、是非読んでみたくなったのですが、次の言葉が引用されていました。

人間は「豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しいと感じる。」 

これはいかなる社会にも共通するものなのだとか。故にその時代時代で何か豊かで、何か不足しているのかを考えれば、その社会の価値観(パラダイム)を知ることができる、と。

 

これを読んだ時、僕の直感はビビッと来ました。なるほど。多分、これは相当使える考え方だと思います。

例えば、産業革命以降、僕たちの社会は「モノが豊かで、時間が不足している社会」でした。大量の資源を使い、大量のモノを生産し、大量に消費する事が良しとされていた時代です。経済はどこまでも成長するのだと考えられていました。

ところが今はどうなっているかというと、資源は有限であり枯渇するものであることが分かり、「オイルショック ⇒ 経済成長の停滞」という時代へと突入します。

 

そんな中で起きたのが、インターネットを基盤にした情報革命です。いまほど情報へのアクセスが容易な時代は、かつてありません。現代は「情報が豊かで、モノ(資源)が不足している社会」です。

大量の情報を集め、発信しているGoogleやWikipedia等は、多くの人から支持されています。(=豊かなものをたくさん使うことは格好良い)

また、モノが希少であるため、僕たちは、省エネであるとか環境への配慮というものに好感を持ちます。

 

お金の捉え方も、随分と変わってきたのではないかと思います。

本来、お金の優位性は、モノの価値を保管した上で、いつでも別のモノへと交換できる能力によって保たれています。しかしながら、モノをたくさん使うことに価値を見出さなくなった社会においては、お金の優位性も相対的に失われていくことになります。

お金を稼ぐことよりも、自分らしい生き方であるとか、やりがいといったものを求める人が増えてきた背景には、こういった価値観の変遷があるのかもしれません。

 

この辺りの詳しい話は、「評価経済社会」を読んでいただくのがいいでしょう。ここではそれとは少し違うことを、考えてみたいと思います。

 

 

情報が豊かな社会においては、情報を得ること、発信することが良しとされます。

僕たちは日々、空気を吸って吐くように、大量の情報を獲得し、発信しています。毎日のように書籍が出版され、セミナーが開催され、そしてインターネットでは、それらを遥かに超える情報量がこの瞬間にも生産されています。

そんな溢れる程の情報を獲得し、処理することは、僕たちにとってもはや習慣といってもいいでしょう。何か疑問や問題がある時、僕たちはすぐに情報を集め、その中から答えを手に入れます。

いま、僕たちが当たり前のようにやっていることです。このような行動習慣を身に付けた僕たちは、一体どのようになってしまうのでしょうか?

 

一方で、モノ(資源)不足の現代では、モノによって豊かさを得ることが難しい時代でもあります。モノとの交換できることで重宝がられたお金を得ることが、だんだんと難しくなってきています。

モノで豊かになれない僕たちは、一体、どうすればいいのでしょうか?

 

こういった背景の中から出てきたのが、多様性であるとか、他人とは違う自分らしさといったキーワードです。モノに頼れない以上、自分が既に持っているもの、とりわけ自分自身の価値というものに非常に敏感になりました。

他人と一緒では、嫌なんですね。

 

 

ここで僕たちは苦しい矛盾を抱えます。他人とは違う自分らしさを求める僕たちを構成するのは、空気を吸うように無意識に集めた、大量の情報です。

情報には個性がありません。ある所で聞いた情報は、別の所でも似たような形で発信されています。時折、個性的な情報が生産されることもありますが、瞬く間に共有されていきますので、すぐに個性を失います。

それが情報革命以降の社会です。

 

自分らしさ、自分ならでは価値を求めているはずの僕たちは、皮肉にも他の人と同じ情報によって構成されているのです。結果、多くの人の「自分らしさ」や「求める未来」はどこかで聞いたことのあるような「よくあるもの」になってしまいます。

そもそも、自分らしさを求めることそれ自体、多くの人と同じ傾向にあるわけですので…。

 

 

いま僕は"自分らしさ"なるものを、求める必要はないと考えていますが、仮に自分らしさがどうしても必要だというならば、それは探し出すものではなく、作り上げるものです。

僕たちが得る情報には、個性はありません。みんなが持っているものです。だから情報を参照しても、そこに自分らしさはありません。

しかし、僕たちは既に自分にしか無いものを持っているのです。それは経験です。あなたの経験は、あなたにしか無いものです。例え、時間と場所を共有している誰かが居たとしても、その人とあなたの体験は異なったものになります。

経験を増やせば増やすほど、僕たちは自分らしさを「体現」していきます。

自分らしさは勝手に僕らの言葉となり、行動となっていきます。ことさら探す必要もありません。既にそこにあるのですから。

 

単に情報を得たり、想像したりするだけでは、経験とはなりません。実際に見たり、聞いたり、行ったりすることによってのみ、経験は蓄積されていきます。

自分探しをするくらいなら、とっとと経験を増やした方がいいです。

 

 

また、経験豊富な人は自然と個性的な情報を発信します。情報を欲する僕らには、人とは違うものを求める僕らには、それがとても魅力的なものに映ることでしょう。

故に、経験豊富な人は多くの人々から支持(師事)されるようになります。

評価経済社会においては、多くのお金を持つ人よりも多くの支持を集める人の方が色々なことができます。他の人にはできない体験も増え、それを通して、ますます自分らしさを作り上げていくことでしょう。

そんな好循環の中に、自分を置きたいものですね。そのきっかけになるのは、結局のところ「行動」なのです。