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これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

知の目覚め(1):思考は人にとって最大の喜び

僕は考えることが好きなのですが、現時点で僕の思う「考える」ということについてまとめてみることにしました。

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photo credit: tomswift46 ( Hi Res Images for Sale) via photopin cc

タイトルになっている「知の目覚め」は作家(内田樹さんだったような…記憶が曖昧です)のどなたかがおっしゃっていた言葉で、妙に心に残っていたので使ってみました。

知の目覚めとは何か?という解釈自体は、僕自身のものなので、元ネタのそれとは違うかもしれませんが、そこはご了承くださいまし。

 

教育に関する原則

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photo credit: Kalexanderson via photopin cc

教育とは機能である

そもそも知の目覚めという言葉が印象に残った背景として、「教育とはコンテンツではなく機能である」という文脈がありました。

コンテンツ、つまり知識や情報を伝えることが教育ではなく、何らかの変化を促す仕掛けこそが教育である、と。前述の作家さんは、教育には知の目覚めを促す機能が必要である、と仰ってたかと思います。

 

学び手は常に正しい

これに激しく同意。

もともと僕の中にはある教育哲学(というと仰々しいですが)があります。それは、「学び手は常に正しい」という行動分析学を学ぶものなら誰しもがその基本スタンスにしなければならない原則です。

学び手には、常に自分の伝える、教えるといった行動の結果が反映されます。学び手が上手く学べていないとすれば、それは教える側が何かを変えなければならないというサインなのです。

 

教育が適切に機能しているかは学び手が押してくれる

教育とは知の目覚めを促す機能である。そして、学び手は常に正しい。この2つの考えは、とても相性がいいように感じました。教育が適切に機能しているかどうかを示す唯一のものが、学び手なのですから。

というわけで、この2つの原則を胸に秘め、「考える」ということについてお伝えしていこうと思います。

 

思考は人にとって最大の喜び

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photo credit: h.koppdelaney via photopin cc

思考は僕たちの脳内に世界を作り出す

そもそも考えることというのは、僕たち人間に与えられた最大の喜びだと思っています。同時に最大の苦しみでもあります。

考えることで、僕たちは脳内に仮想の世界を作り出します。考えることが苦しみだというのは、過去に起きた嫌な体験や、これから起きるかもしれない嫌な出来事を、何度も何度も頭の中に作り出してしまうからです。

疑似体験とはいえ、それは感情を伴う臨場感のあるものです。いま現在は何も起きていないはずなのに、それをわざわざ脳内で作り出して苦しんでしまいます。苦悩の底なし沼のようです。

 

経験のみでは可能性の袋小路へ

考えることは、そのような苦しみの原因なのですが、それでも僕は、考えることは僕たちにとって最大の喜びだと思います。

僕たちは考えることによって、自分の体験を超えることができます。経験することはとても大切です。行動とは体験そのものですし、体験からしか行動は学習できません。

その重要さを重々に分かった上で言います。体験のみから得られた情報では、可能性の梟小路に嵌り込みます。

 

思考とは世界の創造である

他からの情報を獲得し、考えることによって、僕たちは新たな可能性を拓くことができます。経験で得た情報と他から得た知識を結びつけ、「ああ、そういうことだったのか」と経験に対する意味付けを変えることができます。

そういったものを「気づき」と言いますが、僕たちにとって新たな世界が創造された瞬間だと言えるでしょう。世界がパーッと開けたようなあの感覚は、相当なものです。

この気づきがあるからこそ、考えることは最大の喜びなのです。

 

知の目覚め

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photo credit: Unhindered by Talent via photopin cc

さて、そもそも考えることには、良いも悪いもありません。世界を作り出すという機能があるだけです。その機能が強力すぎるために、負の方向に働くと僕たちを苦悩させてしまうし、正の方向に働くと新たな可能性の苗床となります。

だから、僕たちはあまりにも強力すぎる「思考」と、もっと上手く付き合っていく技術を身に付けておいた方がいいのです。

 

考えることに習熟する

先ほど、気づきが新たな世界を作り出すのだ、と書きました。考えることにある程度習熟してくると、気づきを作り出す能力が高まります。その状態を「知の目覚め」だと僕は考えています。

  • 経験と知識から気づきを作り出す思考の技術があること
  • 気づきが得られるまで考えられる精神的な持久力があること
  • 分からなくても、答えが得られなくても良しとする許容力があること
  • 考えることの限界について自覚的であること

この記事を書き始めるにあたって、ここ数日、知の目覚めとは何か考え続けてきたのですが、今のところ、上記のような要件が鍵だろうな、と一時的に結論付けています。この辺りを少しずつ、お伝えしていこうかなと思った次第。

 

…うーん。なんと恐ろしいことに、本来書こうと思っていたことが一文字も書けませんでした。というわけで次回予告。

知の目覚め(2):「分からない」「答えがない」でいいのだ。