読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

部下を叱ったら出社拒否になってしまいました…責任を感じています。

Q. 部下を叱ったら出社拒否になってしまいました…責任を感じています。

f:id:h-yano:20131213000216j:plain

photo credit: kaymoshusband via photopin cc

部下を持つというのは、じれったい思いを抱えるものですよね。こうすればもっと上手くいくのにというのが見えてしまうが故に、もどかしくなってついつい口を出してしまったりすることもあります。それが届けばまだいいのですが、思わぬ事態になってしまったりして、果たして自分のやっていることはあっていたんだろうか…って悩んでしまいます。

 

自分を責める気持ちは、未来のより良い最善のために。

僕たちは自動的に最善を尽くしている。

でも、僕は知っているのですが、人は置かれた状況で自分なりの最善を尽くすものです。能力的に、そして動機的できる最善を「自動的」に選ぶのです。だから、思うような結果にはならなかったかもしれませんが、あなたは最善を尽くしました。

 

また、同時にあなたの部下も最善を尽くしています。彼か彼女かは分かりませんが、部下にとって置かれた状況に対応する最善を選択した結果、残念ながら出社拒否になってしまったのでしょう。

互いが最善を尽くした結果ですので、あなたや部下の行動を批判することに意味はないと考えます。誰も救われないし、時間を巻き戻せるわけでもありませんしね。だから、あなたを批判する言葉にことさら悩むことはありません。

ちなみに「あなたを批判する言葉」の中には、あなたがあなた自身に向けてかける言葉も含まれています。

 

未来のより良い選択の為に

というわけで、あなたは過去の出来事について責任を感じる必要はありません。というより、責任を感じることはできません。なぜなら、責任とは「これから成すべき行為」に対して感じるものだからです。

あるいは償いとしてやるべきだと思える行動があるのでしたら、それをやるのもいいとは思いますが、そうでないなら責任を感じることは単に自分自身を慰めている行為でしかありません。止めましょう。

 

あなたが責任を感じるべきことがあるとしたら、それはこれからのことです。

きっとあなたはまたいずれ、部下を持ち、彼らの教育に責任を持つことになるのかもしれません。その時には、今よりも「より良い最善」を尽くせるようにしなければなりません。それが、あなたが感じるべき責任です。

いま感じている自分を責めたい気持ちは、あなたが未来でより良い選択をするために使ってください。自分を責める気持ちは、あなたが自分に向上する余地があることを認識している証拠です。

だから、あなたはきっと、今よりも「より良い最善」を手に入れることができます。