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これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

型に嵌める教育も悪くない。

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photo credit: www.audio-luci-store.it via photopin cc

アウトブレイク・カンパニーというアニメを観ていたのです。どんなアニメかというと、日本が異世界と繋がってしまい、何故かオタク文化を異世界に広めようという内容。暇つぶし的に観てみたのですが、割と面白い。

で、へ〜って思ったのが、オタク文化を異世界に広めようとする主人公の障害となったのが、その異世界の住人たちが言葉を使えないことでした。識字率が低いんですね。文字が読めなければ、漫画も楽しめません。なので主人公は日本語から教え始めなければならなかった…みたいな感じ。

 

それでふと思ったんです。型に嵌める従来型の教育が、創造的な人を生み出す土壌になってるんじゃないかな、って。

型に嵌める教育というのは、正解を効率良く見つける技術を学ぶ教育です。正しい言葉の使い方や、正しい計算の仕方を効率良く身に付けていけます。日本人で日本語の読み書きができない人は、ほとんど居ません。

つまり、日本人の大多数は漫画や小説、アニメといったものを楽しむための基礎学力があります。識字率が低い文化だと、そもそもそういったコンテンツの消費者自体が少ないので、市場として育たないのだと思われます。

 

また、消費者が多いことは同時に、生産側へと回る人を作るのに十分な母体となります。面白い小説を読んだから、面白い漫画を読んだから、そんなことがきっかけで小説家や漫画家、アニメーターを目指そうと思った人は結構たくさんいるはずです。

そうすると、コンテンツ生産の担い手が増えていくので、必然的にその中から優れたものが産み出されていきます。また、担い手がたくさんいるということは、その中から天才が輩出される可能性も高くなります。

あるコンテンツを消費できるだけの基礎学力を作る教育は、そのコンテンツ産業自体を育てる素地となるのだろうなぁ、と妄想していた次第。

 

この見方が合っているかどうかはさておき、面白いなぁと思ったのでブログに書いてみました。

 

今の教育の形態って、産業革命以降の所謂「労働者」を作るための教育だと思うのです。一定の質が担保されて、決まった時間に求められていることに答える技術を高める教育です。でも、それは一概に悪いことばかりではなくて、寧ろ、以前は良いことの方が多かったんだと思います。

例えば、今まで働く機会すら得られなかった人たちが、就職という形で職を手にしやすくなったのも、背景には今の教育の恩恵があるわけです。職を手にしやすいということは、イコールで収入を得やすいということでもあり、それは生活の質を一定のレベルに引き上げる効果があったのではないでしょうか。

 

型に嵌める教育というと、学び手の個性を無視しているとか、自分で考えられる主体的な人材を育てられないといった文脈で批判されることが多いし、実際、そういった側面もあるのだと思います。型に嵌まれなくてドロップアウトしてしまう人もいるのだと思います。

だから、多分、何らかの改善をしていく必要はあるのですが、その際に現行の教育を「悪」と決めつけてしまうと、誤った方向に改善してしまうのではないかなぁ、と思うのでした。これまでの教育にもそれなりの機能があるので、それを踏まえた上での改善策が必要なのでしょう。